○「高校教師」非女子高

私が中学生のころ、私の中学校の職員室の前には水槽があった。
普通こういう場所にある水槽というのはたいてい、古びた水槽に太りすぎた金魚と相場が決まっているのだが、私の学校の水槽は少し違った。
職員室前に生徒机二つを土台にして鎮座した水槽は黄金比を無視した大きなパノラマ型の水槽であった。
周辺設備も実に多彩で、上部に蛍光灯が取り付けられていたし、温度を管理するヒーターにエアレーション一体型ろ過装置、と結構な代物であった。
なにより、この水槽の中で飼っていたのは鈍重な金魚なんかではなく、スタイリッシュなネオンテトラとか、エンゼルフィッシュなどの熱帯魚であった。


というのも、この水槽は私の学校の物理教師が個人的に設置したものであったからだ。


もともとの趣味が講じてというあたりであろう、
黒い髪に白髪が混じってきた初老の物理教師はこの水槽の設置から管理まで一切を一人で行なっていた。
さらには水槽の下部に熱帯魚達の説明文を貼り付ける有様で、どこの国の原産だとか、飼育には何に注意すればいいだとか、各々の熱帯魚達の飼育方法をワープロで丹念に書いてあった。
それに飼育日誌である、どういう意図で置いてあるのかわから無いが、毎日ではないしても物理教師はかなりまめな性格らしく、四季の移り変わりとともに世界中の鑑賞魚達について、どうすれば上手く飼育できるのかというようなことを丁寧に書いてあった。


まるでそれを読んだ生徒に、ほら熱帯魚の飼育は楽しいのだからお前達もやりなさい、生き物を飼うというのは様々なことを学ぶのものだよ。それと日誌をつけることも忘れないように。
と雄弁に語っているようであったが、なにしろ中学生というのは元気が有り余っているもので、運動やらゲームやら恋愛やらに忙しく、誰も地味な熱帯魚の飼育に関心を示さなかった。
中学生にはちょっと高価すぎる趣味でもある。


さて、私のほうは水族館が大好きだと公言するような反抗期も迎えていない、ちょっと幼い中学生だったので、好奇心からよく水槽を覗いていた。さすがに熱帯魚を飼うなんてわがままを言い出すには至らなかったのだが、昔、亀やザリガニを飼っていたこともある。

そういう私にとって水槽の世界というのはなかなか見ていて楽しいものだったし、物理教師のつける日誌にはろくなことは書いていなかったが、世界に様々に存在する観賞魚を知るのは楽しいものだった。
それで何かの用事で職員室前の廊下を通るたびに、私はこの巨大な水槽を覗いていた。


そういうわけで、この水槽が変化しているということに気付くのにたいして時間はかからなかった。
最初は幾つかの種類の熱帯魚が漂うだけだった大きな水槽が、いつの間にか水草が生え、エビが泳いでいたりと月日がたつごとに水槽は進化していき。どこからか取ってきたのかタナゴやメダカが見られるようになり、なんかハゼみたいのが出現して落ち着いた。
どうやら、当初は熱帯魚の水槽にしようという意図だったと思うのだが、途中から日本の水路の生態系を再現しようとしたらしく。だが、最初に投入した熱帯魚をまさか排除するわけにもゆかないので結局ワールドワイドな生態系に落ち着いたようだった。


もしかしたら、これよりもっと先の変化があったかもしれない。けれど、それは突如として打ち切られた。


ある初夏の月曜日、夜中に忍び込んだ何者かに物理教師の水槽は叩き壊されていた。ガラスは粉々に割れていて、さらには消火器をまかれて中にいた魚達はすべてその短い生涯を終えていた。


進入した犯人は恐らく複数だと思われるが、野球部の部室から盗み出した金属バットで校舎を荒らし、「職員室のすぐ近く」という最も狙われやすい場所に置いてあった偉そうな水槽を見事に粉々に叩き壊した。


その何者かは他にも校舎の窓ガラスを幾枚か割り、さらに教室や廊下にスプレーで下手糞な落書きをしていたので、翌日は全校生徒を招集して臨時朝礼ということの運びになった。
壇上に立った教頭は、昨晩の凶行は犯罪であり器物損壊、不法侵入にあたる。当の脅しをかけた挙句、「我が学校生徒が犯人であるはずがないとは思うが、もしいるなら後で教頭室に来るように。」と言い残して壇上を去った。
後は解散、私達の話題は昨晩の凶行の話で持ちきりになったが。
結局、犯人は名乗り出ることも無く、自首頼みの捜査は早々に打ち切られ、事件は解決しなかった。


私は学校側がどうして犯人らが凶行に使用したバットの指紋を調べないのだろうと疑問を持っていたが、どうやら学校としては事件は外部犯のほうが都合がよいらしく、私達にもそれとなくそのような話をしていた。
だが、私達生徒は誰一人外部犯の犯行だと考えていなかった。
無関係の外部犯が沢山の部室から野球部のバットを見つけだして窓ガラスを叩き割るなんて考えられない。どう考えてもこの学校の生徒の誰かだろうということは大体察しがついた。


結局、割れた水槽は撤去され、初老の物理教師は学校に趣味を持ち込むことを二度としないと決めてしまったようだった、もう一度一から水槽世界を再建しようとはしなかった。
私のささやかな楽しみもなくなってしまったが、私にとってそれがとても心の痛む話しかというとそうでも無かった。どちらかというとどうでもいい部類の話だった。


それから数日経ったある日、私は校庭の片隅の花壇にいつの間にか墓が出来ているのに気付いた、もはや誰もその存在を忘れた手入れもまるでやっていない雑草だらけの花壇に、真新しい盛り土が作られ、とても小さな手作りの卒塔婆が立ててあった。
私は最初それが何の墓なのかわからなかったが、すぐにあの水槽の魚達の墓であることに気付いた。
どうやら水草も一緒に埋めたらしく、あたりにはほのかに水生生物独特の腐臭が漂っていたからだ。


そのとき私は「ああ、人間というのは、こうやって削られていくんだ。」と思った。
どういう理由で水槽を割ったのか解らないが、中学三年にもなれば、高校受験が待っているわけだしそういう意味で内申点やら赤点やらのストレスや家庭の問題もあるだろう、それは私には知る由も無い。


結局、失われたのは魚達の命で、それに心を痛めたのは物理教師唯一人だった。
彼らの上げた戦果といえばその程度だろう。


もし、これが漫画や小説ならこういう事件の犯人はなにがしかの罰を受けるものなのだが、この学校という世界ではそういうことは何も起きない、ということを私なりに理解していた。
そういう学校独自の世界に置いておくには物理教師の水槽は手入れが行き届きすぎていた。
手間を掛け過ぎていたし、説明文や飼育日誌も余計だった、大人しく金魚でも飼っていればよかったのだ。