音符は歌う



ヌーノベッテンコートという歌手をご存知だろうか?
って普通は知らない、もしくは、え?エクストリームのギタリストでしょ?という方もおられると思う。

ベスト・オブ・ヌーノ
昔、私はヌーノベッテンコートのファンだった。もちろん今もファンである。
誰?よく知らない、むしろ知りたいという奇特な方がおられれば、一般受けしそうなファイルへリンクさせておく。


こちらね。


上記のリンクは今後の動向によってどうなるか保障できません。


私は長くヌーノという人間は才能を垂れ流して生きていると思っていた。
あふれ出る音楽の才能を方端から浪費して生きていく傑物。すなわち天才。
だが、私も少しは年を経ったし、今ではちょっと違った見方をするようになっている。


もちろん、ヌーノという人間に存在する音楽的センスは誰もが認めるところであるし、ギタリスト、歌手、プロデューサーしても大きな成功を納めた彼である、私ごときが何をいわんやということでもあるが。


しかし、やはり彼のたどった道のりを考えると「天才」ではあまりに言葉が足りない。
ヌーノはポルトガルアメリカ移民の音楽一家に育ち、幼い頃から音楽に触れドラム、ピアノ、といった楽器を次々に弾きこなすように育っていく。
そしてギター、家庭環境の所存か、彼の類まれなる努力の成果か空前絶後といっていい天才的なギターの演奏技術を習得し、そしてEXTREMEを結成、MORE THEN WORDS で全米NO1に、この曲で一気に時代の寵児に駆け上がる。当時のEXTREMEの曲はほとんどヌーノが作っていた。
その後、数々のヒットを飛ばすが音楽性の違いからEXTREMEを解散、初のソロアルバムを発売するも、EXTREME時代からはかけ離れた音楽性にファン離れを招く、そしてソロ活動を取りやめMORNING WIDOWSとして再起を図る、評判は上々だったものの、メンバーのモチベーションが低いとの理由からMORNING WIDOWSを解散、再びソロに、だがソロアルバムPOPULATION1の評判は今ひとつ、現在は再びDRAMAGODSというバンドを結成して活動している。
もちろん彼にはプロデューサーとしての顔も持っているが。


私も長く付き合ってきただけあって、だんだん、と言うかやっとヌーノの音楽性というものが見えてきたと思う。


それは端的に言えば私の当初の印象とはまるで逆、ヌーノには足りないのだ、決定的な音が足りないのだ。
ここで一言置いておくが、私は彼と彼の音楽を愛している。が、愛しているだけあって、どうしても感じてしまうものがある。
のどの奥から、にじみ出てくるような渇き。
音符の不在、決定的な齟齬。
私はヌーノを天才だと思っていた、溢れる音楽をとめどなく流し続けるメロディが彼を突き動かしているのだと思っていた、だがそうではなかった。
彼は飢えているたのだ、私なんぞとは比べようも無い遠い場所で。


彼の活動は一義的な音楽的地位に頓着していないように思える。
実際に感じるのは真摯に音符を追っていく長い作業の痕跡、そしてその作業に真摯になればなるほど一義的な音楽的地位から遠ざかってしまうという不幸、過去のヌーノ像との乖離。
私はこれほど真摯であろうとする彼の意志に深い敬意を表すると同時に、やはり私には彼の飢えは根源的には不幸だとも思う、彼の音楽になにかが足りないのではなく、彼の存在の問題なのだ。
私なんぞはいつでもどこでも諸手上げなのだが、それでも、という不幸が、これからも私には到底理解できないだろうというだけなのだが。
それが不幸なのだ。誰も、誰一人彼を救うことは出来ない。


天才と呼ばれ、ギター一つでおおよそ人がやっていることはで何でもできるようになっても、足りないものがある、だから音符は歌いつづけ、その音はとてつもなく真摯だ。