常識はルールではない。



IDがMってことで更新が出来なかった。
まあ、常連などいないだろうが、mをkにしておけば良かったと。畑のためにもなるし。


まあいいや。
普通ルールとはアウト・セーフが明確に文言に上がっているものを言う。
例えばサッカーではボールを手で触れていいのはキーパーだけということになっている。
これはルールだ。
だが、例えば、両チームが引き分けた場合のみにおいて決勝トーナメントの道が両者に保障されるというような場合に両チームがお互いの利害関係を考えた上で90分間パスし続けたらどうか?
これはルールには乗っていない行為だ、禁止されているわけではない。だが、この行為は明らかに世間の非難を浴びるだろう。
これは常識に反する行為である、
サッカーは二つのチームが争い死力を尽くして得点を争うゲームだと皆が認識しているからである。
これが、将棋や麻雀なんかの頭脳戦が見物のゲームと認識されていればこういった行為も認められる余地がある。
だから、ルールは文言だから誰がなんと言おうとサッカーのボールに手で触っていいのはキーパーだけである。
だが、逆に常識は共同幻想である、皆が同じ生活を共有し、同じ不安や希望を抱えている、そういう特殊な条件下でのみ円滑に機能するのである。


だから、常識が機能しないということは、ルールが破られているというわけではない。
共同幻想が持てないのだ。常識だと知って破っているわけではなく、何が常識がわからなくなっているのである。


ここから格差社会につなげていけば、それなりのねっちゃりとした話になるだろうが、それはしない。


そもそも、一杯の掛けそばを生理的に嫌う世代が既に40代なのだ、そんなものがあったのかといえばブラウン管の中だけの精一杯の虚構だったと言ってもいい。