この国は傾こうとしている。



昨今、飲酒運転で逮捕される公務員の急増が社会問題化している。悩ましい限りだ。
行政は飲酒運転即懲戒解雇などの方策を打ち出しているが、未だに飲酒運転が減ることは無い。
一体この国はどうなってしまうのか。
我々日本社会は、飲酒運転をこの国が解決すべき当面の最大の課題と捉え、飲酒運転者、教唆者、ともども社会的に抹殺していこうと法的に努力していた、確かにこれは大いに評価できる取り組みだ、飲酒運転をする輩を減らすことによって我々はより安全に生活できることは明白であるように思われる。


だが、ちょっとまって欲しい。


確かに飲酒運転は凶悪犯罪だ、死刑にも値する、この点に関しては我々も同意見である。
だが、本当に飲酒運転を取り締まっただけで、アルコールの社会問題を完全に解決したことになるだろうか。
いや、なりはしない、ある調査では飲酒運転を繰り返す人間はアルコール依存症の可能性が高いとされているのだ。アルコール依存症は病である、行為を取り締まったとしても根本的な解決にはなりえない。
さらに、飲酒に関する様々な問題は飲酒運転に限らず広範囲に及んでいることが挙げられる、大学生がコンパで無理に一気飲みし急性アルコール中毒で死亡する嘆かわしい事件は毎年後を絶たず、飲酒が原因の傷害事件も毎年幾件も起きている。


我々の社会は飲酒に関わる様々な問題を内包しているといっても過言ではない。
夜の都会には様々な問題が存在する、その全てに飲酒が深く関わっていることは自明では無いだろうか。
ボッタクリバーは言うに及ばず、非合法団体の資金源になっていると噂される、飲食店、風俗店、青少年に対する悪影響も深刻だ。繁華街はアルコールを中心に回り、その全てが我々の生活に不要な混乱を招いているといっても過言では無い。
さらに、アルコールが体にいいなどというのはアルコール依存症患者の妄言に過ぎない、ほとんどの飲んだくれは体にいいといわれる頃合などさっくり超えて飲むのが当たり前であるし、ほとんど全ての場合、体にいいから酒を飲むというわけではないからだ。
アルコールは高血圧、肝機能障害の主な原因とされており、その悪影響は計り知れない、毎年数万人がアルコールが原因で命を落としているといっても決して過言ではないのである。


また、アルコールは人格障害を引き起こすことも大きな問題である。
アルコールがもたらす酩酊感は大麻にも勝るとも言われ、公共の建物内で嘔吐したり、痴漢行為を働いたり、セクハラ、暴言、暴力行為、器物破損、名誉毀損と迷惑行為に暇が無い。
さらに行為者には一応に記憶障害が見られ、脳に多大な負担を掛けていることは間違いがなく、被害者も酒に文句を言うわけにもいかないので泣き寝入りしているのが現状なのだ。


やはり我々の社会は、酒を断つことが至上の使命であるように思われる。
酒は人を狂わせ、多数の被害者を生み出す。このアルコールという麻薬を絶ことが今、求められている。
我々は常に自らの行動に対して責任を取らなくてはならない、我々は自分自身以外の誰にも迷惑を掛けてはいけないのである。
自身や一部の集団が楽しいからといって、その悦楽行為で全くの第三者が迷惑に感じることはあってはならないのだ。


そこで「禁酒法」が我々の社会に求められているのでは無いだろうか。
禁酒法と聞くと、即座に悪い印象をもたれる方が多いかもしれない。
確かに1933年に施行された禁酒法(ホルステッド法)は大きな問題を孕んでいた、酒の販売は認められていなかったが、自宅での飲酒が認められていた。
国境が地続きのカナダから大量のアルコールが流入し続けた。取締官にやる気がなかった、等の様々な現実的な手段における問題が禁酒法の失敗を招いたのだ。決して理念が敗れたわけではない。
我々はこれを教訓としなければならない。
禁酒法が密造酒を招いた、マフィアの暗躍を招いた、との思考停止に陥らず、実効性を探り妥当な制度としてこの傾きかけた日本の地で禁酒法の復活を訴える次第なのである。


まず、死刑制度を利用するのが最も現実的である、現在日本では死刑をちらつかせればどのような犯罪も消えてなくなることが一般的に認知されている。
これを利用しない手は無い。
酒を販売したもの、飲んだもの、密輸したもの、そのを悉く血祭りに挙げることによって、我々の社会は正常化することが間違いが無い。
また飲酒に関わる犯罪を撲滅するには密告制度を適用させることによって取締官の負担を軽減し、相互監視による、市民による市民のための健全な社会の構築を可能にするだろう。
誰もが取締官になることによって、市民は自身の社会的体裁を整え、不法行為を慎むに違いが無い。
公表の場をネット上、とりわけオーマイニュースという良心的な市民投稿型サイトに公開することによって、不法行為を犯した犯罪者を国民全てにに知らせることが出来るだろう。
さらに、強硬な密輸組織、反社会的組織に強硬な手段を行使する武装特殊部隊の創設も欠かせない、市民は自由を安全に謳歌する権利があり。国民の安全な自由を守るのは国家の使命である。


あらゆる手段を行使して市民の安全を守る義務があり、その使命が「美しい国」を作るといっても過言ではない。
我々は、死刑制度、密告制度、武装特殊部隊、さらに国民一人一人の良心という気概をもって我々の社会はアルコールを追放し、安全で民主的で自由な社会を手に入れることが出来るのである。