挨拶って。



言葉がなくてもメッセージは発せられる、目つきや、化粧や、息使いによって。
誰もそれを止めることは出来ない、よろしい、二人は無関係だとしよう。
それはちっとも現実的では無いが。
ともかくお互いはどことも知れない二人、名前も知らない。
今まで出合ったこともなく、両者は今日始めてであったのだ。
だから、二人は無関係だとされる。


だがよくかんがえてみると、そんなことはありえない、「ああ、あんたなんか知らないよ、興味ないよ」となるのだが。
それは知らないというだけ、情報の欠落というだけで、関係性までもが無いとされるわけではない。
バタフライが飛ぶかどうかは知らないが、世の中は複雑だから人間が一人増えようが減ろうがどうでもいい、というわけでも無い。


また、現実的に二者の関係性があるかどうかがどこかで担保されているというのは幻想だ。
というのも、全ての言葉は総じて受け手の了承を得ているわけではないことがあげられる。
おはよう、こんにちは、寒くなりましたね。


などに関わらず、言葉というのは投げる相手に投げていいかどうかいちいち了解を取ったりしないし、そういう手段も無い。
さらに、現実には言葉に関わらないメッセージも存在する。
目つきや、服装や、立ち方や、化粧や、踊り方。
確かにこれらはメッセージではない、言葉に担保されていない、だが、明らかにメッセージだという場合もあるしそうで無い場合もある。
例えば、あなたが立っていて、何故か知らない人間がやってきてあなたの目の前ででかい声で笑われたとしよう。
あなたを笑ったかどうかは定かでない。
が、どちらにせよあなたは不快になるだろう。


世の中には、スーツってだけで不快に思われる場合もあるし、軍服ってだけで嫌悪されたりする。
それはスーツがメッセージであり、その了承を相手にいちいち求めていないからだ。
どんな生き方でさえ、なんらかのメッセージを持つ。


では、相対する両者のメッセージはどういう段階で担保されるのか、常識とか、世間知とかそういう共同幻想である。その場しだいである。
結果的に両者の当初の意図に意味は無くなってしまう。


で、共同幻想が、今、あなたと私の間で成立するのか?これは難しい。
現実では容易だろうが。
ネットでは非常に難しい、ネットには文字しかないからどうしても当初の意図が主眼に置かれる、
言葉は信用ならないが、残念ながらココにはまだ言葉しかない。