年の瀬ですね。

年の瀬と言うのは言い得て妙であって、なんだか特別なことがおきそうなそうでワクワク土器土器なものなのではあるが、
実際のところは何のことは無い、別段、例えば先週と今週で何が違うのかと言えば特に何も挙げることが出来ないのであるからなんだかんだいって寂しいものである。


違うことと言えばテレビ特番と休日と年賀状といったところであろうか。


近頃の日本社会はハレとケの区別がだんだんと曖昧になって行く傾向にある。
特番だって特に珍しいものではないし、休日だって国民の休日に関する法律を改定したおかげで連休が目に見えて増えている。
クリスマスなどもはやイブイブの時代である、数年後にはイブイブイブとかになって誰も本当のクリスマスの正式な日付を覚えていないに違いない。
このままでは近日中にも正月行事が消滅してしまうのではないか?
なんてことだ。
これは日本人として由々しき自体である。


ここは一念発起して日本のため、日本人の血のため。世のため、人のため。
是非正月を一大イベントとして国民総出で消費するべきではないだろうか?


で、ここで問題になるのがこの飽和した社会において具体的にどうやってハレを演出するのか?
という至極まっとうな疑問である。
皆でコタツを囲んでみかんを食べてという家族像が崩壊した今、国民総出というイベントをいかにして消費するのか?ここが難しい。
しかも、自由ではいけない、自由にとなるとどこかしら働きたい奴が出てきたり正月なんてタリイとか言い出す中二病の方々が参加できなくなる。
そんなかわいそうな子をほっては置けない。
ここは一つ強制参加と言うことで計画を練るべきである。
だりいとか言わないそこ。


ここで一つの前例がある、何事にも前例があるというのが大事である。
そしてどのようなことも日本人は前例を欲しがるものだ。


2003年8月14日午後4時11分にアメリカニューヨークにおいて大停電が発生したことを覚えているだろうか。
この時、ニューヨーカーの実に80%が「電気無くて怖かったけど、結構楽しかったぜUSA」とか、「女の子を口説くには一番だね。USA。」とか、「みんな支えあって協力したんだ、肌の色も関係なくね。USA。」とか、「むしろ、USA。」などの感想を残しているらしいのである。


近代化された今日の現代社会は不足がハレとなりうることが証明されたと言ってもよい。


つまり、正月を家族で過ごさせる、近隣住民とのふれあいをさせる、さらに危機管理と、訓練のために電気を止めてはどうか?
このご時世、いつ南海沖地震が起こるとも知れず、さらに北朝鮮問題や悪化を続けるイラク問題このような先行きの不透明な状勢の中、不測の事態がいつ起こるとも知れない中で、緊急時に如何にして生き延びるのか、設備はどうなのか?実際電気が無いと社会はどうなるのか?
誰も知らないのでは危険が大きすぎる。
備えはあればあるほどよいのである。


実際に不測の事態で電気が止まる前に電気が無い生活を経験しておく必要がある。
それを考えれば、むしろプラス面のほうが多いかもしれない。


正月には一日だけ電気を止めて、皆集まって路上で薪火をしよう。
そして、もちを焼くのだ。