■悪人は黙して語らず。

悪人は語ってはならない。

これは私が勝手に決めた決まりだが、とりあえずこれを「自白のカタルシス」と呼ぶことにする。

これは悪人はその勝負が決まる前にその思想、もしくは感情を吐露した時点でカタルシスが訪れるというものだ。
その後の最終決戦はむしろ付属のようなもの、真の戦いはその前の舌戦で全て終わっているというものである。

これはどちらの主張が正しいかという正義の所存の問題ではなく、単に敵役が語ればその物語が終わるという法則ただそれだけである。
悪人が語ると、その作品としてのカタルシスはその時点で内側に閉じてしまうということなのだが。

これはとても不思議なことだ、現実に置き換えて考えてみてもこの状況は取調室以外では見られないし、むしろヒトラーにしてもブッシュにしてもスターリンオウム信者にしても語ることのほうが多いし、語ったところでカタルシスが訪れるということは無い。
たとえば姉歯建築士にしても国会で語ったところでカタルシスなど一切訪れず、むしろその語りは消化不良そのもので実は物語の始まりであると言えると思うのだが。

どうしてかはわからないが創作物の世界では語りがそのまま物語の収束に向かっていく。

なぜだろう?理由はわからない。

しかし、これは物語の世界では常識であるようで。悪人は最後の最後まで黙して語らないことを貫くことが要求される。
ともかく何があろうと物語の終局に語らせるのだ。その行為によって物語りは完成されカタルシスを演出することが出来る。

火曜サスペンスの崖や、RPGゲーム、ロボットものなど正義と悪の戦いという形式をとる物語によく観られる手法である。

逆に悪人が最後まで語らないことで物語は内側に閉じることが無く外側に拡散され聴衆を魅了し続けるという手法もあるように思う。

例えば「シト」「碇ゲンドウ」、劇場版パトレイバーの悪役に見ることが出来る。

これはあくまで成功した例であり失敗すると悲惨なことになる、何せ物語が収束することが無く消化不良のまま物語が終わってしまうので非情に繊細な舵取りが必要になる。

一話完結の形式の最初から閉じている戦隊物などは語りは最初に訪れ、主人公が計画の阻止回る展開が多いが、これも大枠で観ると「謎の黒幕」という曖昧なことしか語らない(主人公の撃破以外の目的がわからない)悪役がいる限り物語は収束することが無いので自白のカタルシスを上手く利用しているといえるだろう。

というわけで、「夜神ライトさん」お疲れ様でした。