■ラブコメ雑感

いやはや年甲斐も無くラブコメschool rumbleを読破。(一体どこにそんな暇があるんだかね?)
まず私の感想ですが非常に面白かった。一晩読破なんて結構久しぶりだ。
School Rumble(1) (講談社コミックス)

週間誌は読んでないので展開が大きく変わっていることもありうる(この作者なら大いにありうる)のだろうがここは一つ雑感という形で。


しかし、基本的にラブコメにありがちな展開をただ繰り返しているだけにもかかわらず、どこかしら特異な印象を受けるのは何故だろう。


まず驚いたのは作者がヒロインに対して全く思い入れのないようなある種突き放した描写である。


普通ラブコメというのは主人公(作者)がヒロイン(作者の妄想)とのコミットという形式をとるのが常道だ。
代表的なのは集英社刊行少年ジャンプの「いちご100%」や、同じく週間ジャンプの「Is・アイズ」などである。これらの作品は一様に読者を主人公の位置に誘導するように出来ていて、読者は主人公に成り代わって一様に主観的な恋愛を楽しむという形式をとる。
故に、読者は最低限ヒロインに恋しなければならないという命題を背負うことになる。


基本的にラブコメとは読者が主人公と一心同体となって共にヒロインを攻略するお話なのである。


ここらへんの舵取りが難しいのは言うまでも無く、読者の性的欲求と純愛欲求を上手く誘導してやることが必要になる。
蛇足だが、例えばヒロインが無意味に主人公に性的に迫ったりしてみよう、すると物語的には一気に破綻に向かってしまう。そういう意味でヒロインへの恋愛路線にうまく読者を誘導できない場合、お色気担当のサブヒロインがわんさと出てくるはめになるのである。(彼女らは単に妄想材料そのものであり恋愛対象ではない。)<br>
ここらへんスクールランブルにおいてはかなりいい加減だ、少なくともヒロインはかなりぞんざいに扱われている。ヒロインの魅力について描写することは早々に投げ出してしまったかのように思う。さらになんといってもヒロインが主人公に恋に落ちる気がしない(当初はまだ可能性がありそうだったが。)主人公が哀れになるだけでラブの部分はほぼ停滞している。


また、通常のラブコメでは作者(読者)と主人公の位置が非常に近いために作者(読者)の欲望がかなり鮮明に浮き出てしまう、主人公はやたらと異性に好かれ様々な手段でコミットメントを迫られる展開が多い。新キャラは概ね異性でありその後は使い捨てのように様々な属性の女性達と酒池肉林の狂乱の日常が続いていく。その場合でもメインヒロインは一貫して無垢なままであるのだが。


ここもスクールランブルではかなり変である、やはり主人公はサブヒロインにコミットを迫られる構図となっていて、これは概ね同じであるのだが。主人公「播磨」はこれらのコミットメントに対して無慈悲にも無自覚無関心を一貫して貫いている。主人公がサブヒロインに欲情することはなく気の迷いすら見せない、構図としてはまさに片思いで面白いと思うのだが。読者と主人公との距離は大きく離れてしまっている。


また、読者は主人公周りの構図は全て知っているのでこれでは恋物語が進まない。
普通、これでは物語が停滞してしまうのだが。


しかし、この作者は外側を動かすことによってこの停滞を上手く利用している。停滞様相は変わらないのだが彼らを取り巻く外的状況がめまぐるしく変化することによって物語として非常にうまく回転している。


そのため物語を回転させる手段として、外的状況の確認の為に視点がころころとよく移るのだ。余りに頻繁に視点が移るので物語はものすごくサバサバしたものになっているが。これは従来のラブコメにありがちな作者の欲望が透けて見え過ぎて読者の気持ちが悪くなる、というラブコメにおいての致命傷をうまく避けることが出来ていると思う。
あだち充があれだけ欲望全開なのに気持ちが悪くないのは、作者の欲望が綺麗過ぎるのか性的倒錯者であるかのどちらかだろう。


また、視点がよく動くことによって物語の主観的な恋愛観は喪失したが、逆に視点に入らない物語を連想させることが可能になったのである。(正直、最初から作者がここまで考えてこの手法をとったとは思えないが。)
この、視点に入らない彼女達の物語という点はスクールランブルにおいては大きなポイントで、作者の味付けしだいで物語がどの方向にも動き出せるフレキシブルな器として機能している。(まあ、中央があれだけ停滞しているのだから、回りはこれぐらい柔らかくなくてはやっていけないのだろうが)
さらに副産物として、読者に妄想の余地を大きく残すことに成功している。「彼女達はもしかしたらあんなことやこんなことを」という妄想は読者に続きを読む気にさせる。まさに片思いである。
主人公の周りはなんだかんだとやきもきする展開が多くなっているのはこの手法のためだ。
(作者はこの手法に途中で気付いたように思う。)


ここからは私の印象だが、この作者はかなり残酷な設定も行なっているのではないかと思う。
具体的に付言するとあれだが、少年誌的にアウトな物語、ちょっと付言すると安野モヨコカタルシスの無い性交渉というような、裏設定が存在するのではないか?どうもそういう雰囲気がある。(決まりだから少年誌ではやらないというだけ。)
作者は登場人物を単にドラマ(この劇こそが作者の妄想そのものだと思うのだが)の材料にしか考えていないように見えるので今後の展開が気になるところだ。