■ボクサーは水だと言いますが。

突然だが私はギャンブルが大好きである、とはいっても別に競馬やパチンコにはまっているわけではない。
いうなれば、私は悪鬼であり、つまり骨に集まる習性を持つ生き物なのである。


どういうことか、といえば単純にいえば麻雀を愛しているということであり、「つも」とか「ろん」とか言いたいだけなのであるが。
私ほど役満に恵まれない男もいないと思う、もう3年近く打っているが未だに役満は「地和」ただ一回きりであるからし役満の神様「役満神」様も私を見落としているに違いない。


ところで、私が学生だったころよく共に打った馬鹿野郎達がいた、私がいくら悪鬼だとしてもそれこそ私はかわいい子鬼であり、知りもしない海のものとも山のものとも知れないおっさん供とタバコの煙で一杯の雀荘なんかで打ちたいわけではなく。(ようするにビビリ、怖いのだ。)
たいてい供に卓を囲むのは何かの知り合いであったり 、友人であった。


そこで面子が足りないのである、麻雀は4人で行なうギャンブルであるので、なんとしても4人の面子が必要なのだがいかんせん、ちかごろの若者といったら麻雀のまの字も知らずにスロット、スロットとまるでアホかと、そんな無限単純作業のどこが楽しいのかと言いたいのであるが。ともかく、面子を集まるのには一苦労であった。


そういうわけで麻雀友達が麻雀友達を呼んでくるという「マージャンの輪」なる不健康なわっかは学生生活の合間に拡大し続けたのである。
そんななか出合ったのが、忘れもしない京都大学の彼である。


私は京都大学の人間はとても頭がいいものだと思っており、つまり麻雀も強いものとばかり思っていた。
それまでも何度か京都大学の学生達と卓を囲んでおり、実際に強かったためだが(何故か京都大学の学生は麻雀を愛している輩が多い、きっとみんな馬鹿なんだろう)、だが彼は違った。彼ほど麻雀の神様に好かれなかった男は見たことは無かったしこれからも見ることはないだろう。


彼はとても普段はハンサムでとてもクールな男だった、最初に紹介された時にはなんとえらい才色兼備でおまけに麻雀までやるというのか、これでは私どもブサメン馬鹿集団はいいやられ役ではないかと随分理不尽に感じたものだが。彼の評価は3時間後には180度変わっていた。


端的に言って彼はとても下手糞だった、牌をもってやおら「ムムム、」と真剣な顔をしたと思えばありえないような暴牌を繰り出してくる。
どうやらギャンブルの熱に浮かされ、熱くなっているのだったが、私どもがその事実に気付いたのは随分後になったからのことだった。
何しろ、傍から見れば彼は全くのポーカーフェイスで真剣に考えているようでもあり、悩んでいるようでもあり、また、全てを見通しているかのように見えたのだが。
実際は、ただ単に「ロン」とか「ツモ」とか言いたいだけで、機関銃相手に単身日本刀で切り込んでくる日本兵よろしく、唯のマージャン馬鹿であったのである。
それも生半可な突撃ではない、私は三元牌を全て鳴かせた挙句に振り込んだ男を始めてみたし、全鳴き大四喜に「リーチ・タンヤオ」で突っ込んであえなく玉砕したのは今でも鮮明に覚えている。
私が覚えている限り、彼はどんな状況でも突撃以外の行動をとらなかったし、また、物忘れも激しくフリテンやらチョンボやらと良くやってくれたものだ。
彼は振り込んでもポーカーフェイスを崩さず「ムムム」とばかりに眉間にしわを寄せて、反省しているのか、悩んでいるのか、落ち込んでいるのか、全くわからなかったが。
負けると決まって「俺は麻雀はもうやめる」と言い出すのだった。
おかげで私は随分荒稼ぎさせて頂いた。余りに彼から稼いでいたのでなんだか悪い気がして、「レートを変えましょうか?」とか、「先輩は麻雀は向いてないんじゃないですか?」など様々に言って聞かせたのだが、彼はとても麻雀が好きなようで「麻雀やめる」発言の次の日に「ムムム」と牌をつまんでいるのはなんだか男らしくすらあった。
といっても彼は初心者・素人ではなく、それまで1年余り卓を囲んでいたというのだから、まあ、尚更ひどいというわけである。


京都大学の彼は、その後大学院を卒業し、有名金融会社にさっくり就職したのだが、私はその会社が株で大きな損失を出さないかどうかとても心配である。