○戦線は膠着中

星を見ると故郷を思い出すなあ。


私は寝転がって空を埋め尽くす満天の星空と、背後に壁のように迫る剣山のような大山脈を眺めていた。
私が西部戦線に配属が決まったのは丁度一ヶ月前のことだった。


要するに左遷というやつである。
涙むせぶ母に別れを告げ、憤慨極まる父にヒラに謝りながら、私は後ろ髪を引かれる思いで故郷を後にした。
艱難辛苦の2週間ばかりの強行軍を終えて西部戦線にたどり着いたころには、私のあごには無精髭が生え揃いっていて、家をでた時にはこざっぱりと綺麗だった軍服も既に歴戦を潜り抜けた勇敢な兵士の軍服のようにボロボロに成り果てていた。


わずかな所持金を誰かにスられて綺麗さっぱり無くしたり、山賊まがいの旅車に乗せられ奴隷商人に売られそうになったり、海みたいな湖とか数千メートル級の山脈とかなかなかユカイな強行軍であった。


そしてようやくたどり着いた西部戦線、私は入隊あいさつも早々に夜間警戒班にまわされた。
どうやら中央から通達はあったようで、交代時期でもないのに単独でふらふらと現れた小汚い青年を将軍自ら実に行儀良く出迎えてくれた。通達員が先に着くぐらいなら私を同行させてくれてもよかったのに。


西部戦線は冗長にも南北数千キロにおよぶ大戦線であり兵員数も万を越えるまさに巨大な戦場なのだが、結局のところ、前線にまわされたわたしはこうやって星を眺めながらタバコの煙をくゆらせているだけなのである。


具体的に何時頃の話なのかわからない、どうやら5百年ほど前の出来事らしいのだが、私の背後にある山脈を越えて数万の軍勢がわが国に押し寄せたらしい。


それはそれは強力で残忍な軍隊であったらしく、わが国は略奪の限りを尽くされた。さらには、当時は今より西方にあったわが国の首都を占領され王党一族皆殺しの憂き目にあったのだ。その後、各地に散らばる五人の諸侯が立ち上がり、伝説のなんやらとかいう神具やら仙人やらの助けを借りて、五人のうち三人を失いながらもこの地獄の死者のような異国の軍隊を、様々な障害を乗り越えて何とか討ち果たし、殲滅し、後退させることに成功したのだった。めでたし、めでたし、と、わが国では子供から大人なまで誰でも知っている昔話演技であるのだが。


それから現在まで、わが国はその時の恐怖の記憶を未だ忘れることが出来ずにいて、彼ら異国の軍隊を防ぐべく、山を越えたこの地に城を作り、塹壕を掘り、石壁を築いて南北に長い長い境界線を引いたのである。
どうやら、長年を経るにつれて敵のイメージはより恐ろしく、より強大に、残忍になっていったようで、わが国でも子供や信仰深い者達は西には鬼達が住む国がある、と本気で信じているのであるが。結局のところその後5百年間、鬼どころか敵兵は一人も姿を見せなかった。
おかげで私がいる西部前線は戦争を経験することなく未だに拡大をし続けているのであるが。


私には文献だけで伝わる鬼達の姿は全く想像しがたく、本当にこの遠大な草原の果てに鬼達が住む国があるとはとても考えられない。


言い忘れたが、私の目の前には地平線まで緑の草原が広がっている、この草原には一種類の草しか生えない、というのもこの草には強力な毒が含まれていて、自分と違う種類の草を発見するとこの草は根から毒を注射して枯らしてしまうらしいのだ。おかげで、毒を持つこの草を食べようと考える動物も昆虫もいないので、無生物・無音の緑の海がただ遠大に広がっているだけである。
しかし、それでは我々も困るので5百年の年月を賭けてこの忌々しい草を刈り、根を掘って根絶し、深い深い溝を掘り、その溝に壁を打ち立て囲をつくって何とか食料になりそうな麦やら野菜やらを栽培しているのである。この草は種を飛ばすことはなく地下茎で自らの分身を増やす生態なのでとにかく根さえ絶てばよいらしい。
今でも毎日のように我々人間の領土を増やそうと、草原を焼く野焼きの煙が立ち昇っているのが見える。
とはいっても、この草は葉に水分を蓄えていてとても燃えにくい、貴重な燃料をぶっかけてて焼いているのだから人間様にも忍耐が必要である。


と・いうわけだから、私の任務である夜間警戒任務といってもこの戦場では何をするわけでもなく、ただ夜に起きていいれば良いだけの任務なので実際軍隊自体はとても退屈なのものだった。余りに退屈で発狂してしまうものが出るだとか、無事帰還して国に戻っても空気になじめず結局西部前線に戻ってしま者が後を絶たないとか、私がここに飛ばされると決まったときには親切な友人によく言って聞かされたものだ。


だが、現実にはただ単純に遠くを見ていたら金がもらえる。というものでもないらしく、農業やら牧畜やらいろいろと生きていく為にはやるべき仕事がたくさんあるのだ。結局のところ兵士らしい仕事は全く無いものの、土木作業やら畑仕事やらが当番制で行なわれていて、実質兵士としての仕事よりこちらのほうがよっぽど重大な任務である。


だが、私はそんな荒れ果てた農地を開拓する開拓者のような生活に慣れてきた自分に悪い気はしなかった。


問題は任務の方であり、こちらのほうが無意味に時間をすり潰すだけの無用な代物ではあるのだが、そもそも、この長大な戦線は敵を防ぐ為に存在するのであり。また、その一環としての夜間警戒任務であるので、本末転倒ではあるが四の五の言わずにやらねばならぬものであるらしい。


私はその夜間警戒任務にあたっている。見張り台に一人で立ち、遠く彼方の地平線を何をすることもなくただ眺めている。
昼の居住地拡大のための土木作業が響いていて本当はとてつもなく眠いのだが、なんとか睡魔を騙し騙しして起きているのは、遥か彼方、丁度地平線上にある出城からの一晩一回の提示連絡を待っているからである。


出城はここから歩いてまる4時間位、丁度戦線から西に飛び出した位置にポツリと置いてある。真っ平らな草原の海にまるで島のように盛り土を積んで、その上にみみっちい屋台のようなやぐらを組んで白い天幕を張はっている。中では中央の権力争いに敗れた元将軍が暗鬱にくだを巻いているらしい。


しかし、本当の最前線。最先端の詰め所は遠くに見える出城ではなく、そのもっともっと先、草原のど真ん中にあってとても一日二日ではたどり着けない距離にあるのだと聞いている。


私は草原の彼方に目を向けた。夜も更けた草原には光が全く無く漆黒の絨毯だ、真っ黒な平面が風に波打っているのがなんとかわかるのは、夜空を覆い尽くす星の光が草原をうっすらと照らしているためである。
夜の出城は闇に覆われその姿が見えない、光を漏らさぬようにしているのか、そもそも光を焚かぬようにしているのか。私は城があるだろうという方角だけを頼りに目を向けるだけだ。


定時連絡の時刻が来た、無数の星たちが張り付いた面が途切れる暗黒のふちに真っ赤な光が小さく灯される。
数分そのまま点灯しいったん消灯する、それから少し間をおいて赤い光が点滅を始める。私はそのパターンを手に持った報告書に書き写し始めた。何かの信号だろうと思うが私にはこれを解読する権限も能力も無い。私の任務はただ赤い光の点滅パターンを写し取るだけの仕事である。
赤い光はぽつりぽつりと点滅を繰り返している、どうやら今日の定時連絡は長い型のようだ、定時連絡には大体二種類あってひどく長いかととても短いものだった。


草原を吹く静かな風は心地よく通り過ぎていく、無音の空間がここにあり、本当の夜の闇が草原の奥深くからやってきて、私をとりのこして私以外の全てを覆いつくしていく。
私はただ赤い光を見つめていて、私が今この地にいるのだと理解することが出来るのは、あの光のおかげかもしれない。
だが、赤い光は一時間ほど緩慢に点滅を繰り返し、不意にぷっつりと途絶え、後は真っ黒な平面が風に波打っているだけになってしまった。