■つまり、それを人はマーフィーと呼ぶ。

愛車を洗車をすれば決まって雨が降るとはよく言ったもので。


実のところ人は楽をしたいのである、車の洗車などというものは本来好き好んでやるものでも無いだろう。


なんだかんだ「LOVEマイカー」などと言いながら晴天、天晴れ、空っ風の日に身を削って洗車したいなどとは思わず、気温が下がった時や曇りの日とかそういう日時を選んで洗車するのが人間というものだ。
結局、曇りは言わずもがな、真夏に風が吹いていたり気温が下がるということは寒冷前線が待っているということだし、冬には暖かい日を選んだつもりが温暖前線の餌食である。


そういうわけで、ああ雨が降りそうだでは洗車しようという、馬鹿みたいなサイクルに囚われてしまう。


こういう、自覚のあるなしには関わらず結構考えれば理由が見つかることわざは多い。私はそういう言葉。つまりは格言。そういう格言を見つけるのが大好きである。
世界の秘密の法則を自分だけが発見してしまったかのような、えもいえぬ優越感というのはもう、「むしし、」とばかりに陰で笑うのだ。「むしし、」


自分でも自覚があるのだが、マーフィーというおっさんは相当性格が悪いと思う。(マーフィーって人の名前だよね?違う?)


私は結構こういう非科学的な法則やら、「何か得体の知れないものに大勢が操られる」という理屈を感覚的に信じているところがあって、別に心霊やら超能力を信じているわけでは無いのだが。
なんかそういうものがある、という感覚がある。その何かというのは水とか、木とか穴とかそういうイメージのようなものであってもうちょっと言えば、心理に近いものだと思う。これは真理と言い換えてもいいかもしれない、とにかく原始的な心の形をともなう法則がチョコット現実世界に顔出す、そういう瞬間がたまらなく好きなのだ。


そういえば、昔、アカシックレコードなるものがあると聞いて裏山に探しに行った覚えがある。
アカシックレコードというのは世の中の法則という法則全てが記述されている記憶媒体で、レコードの中には世界の全てが書いてあるのだ。レコードを見ることが出来るものは預言者とか、教祖とか呼ばれたりしていたらしい。今考えればという実に胡散臭い代物であったが。
怪しい特別番組に心躍らされていた私は何故か裏山に探しに行った。
まあ、そんなものが例えあったとして、どうしてそんな大層なレコードが裏山にあるのか定かでは無いが
まあ子供心に裏山には何かあると喜び勇んで出かけたのである。
結果、私が見つけたのは宇宙大辞典ではなく、見たことも無い巨大なゴキブリの巣を発見してしまい。転がらんばかりに逃げ帰ったのだった。


この時私が受け取った教訓は唯一つ裏山には何かがあるということであった。
そう、結局宇宙法則などはなかったにせよ、なにかよくわからないものを私は探しにいったのであり、それは巨大ゴキブリという現実で具現化した何か。あの時は確かに得体の知れないそういう何者かが裏山にはあったような気がする。
この、得体の知れないものが裏山や古池や沼や海にいるはずだという原始的な感覚は、結局のところ現実の私自身を突き動かす原動力になっている、と思う。


今日はなんだか取り留めの無い話になってしまった。