■歴史教科書に物申す。

どうも、今日は過激な「もやし」です。良く育っております。


三国志が好きな方がおられれば、憤死という単語をよく目に死しただろう。


私がこの言葉が気になって気になって夜も眠れず、というわけでも無いが。
この憤死という奴は一体どういうことなのかと疑問に思ったことがある、人間は怒りが心頭極まったら死んでしまうというな生態を持っているわけではないと思うのだが。


辞書で調べても、


憤死:憤慨して死ぬこと、


とありいまいち死因が想像しかねる。昔の人は体が弱かったのか、それとも憤慨のレベルが高かったのか?
物語の中、例えば三国志では劇的な場面で効果的に使われることが多い、現代の基準で考える不思議に思うが、計略に引っかかって憤死、とか、酷いのになると手紙で馬鹿にされて憤死というのもある。
これはやはり当時の世相を反映した物語の小道具として使われているように思う。


そうこう調べているうちに、どうやらこれは例えば情死や殉死なんかに意味が近いのではないかと考えるようになった。


やはり憤死とは死因ではなく、死にまつわる状況や因果と考えるべきだろう。
ということは、「憤死」は本来文学の範疇でありかなり脚色された物語である。
これは刺殺や絞殺や暗殺なんかと明らかに違う、客観的な事実としての憤死というのは本来ありえない。


しかし、憤死という奴は何故か歴史教科書に出てくるのである。13世紀、ボニファティウス8世がフィリップ4世に捕らえられた際に憤死したという事柄を聞いたことがある方もおられるかも知れない。
何故?憤死だと解るのだ?どういう事実の積み重ねがあって憤死などという言葉を使うのだろうか?


使い方が同じ位置にある殉死や情死などの言葉が歴史の教科書に出てくれば、それは脚色だ事実とは違うと即座にまったの声がかかるであろう。それとも英語圏にはそういう表現があるのだろうか?
たとえば「東条英機は殉死した」などと書かれると怒り心頭して憤死してしまう方々が多数おられると思う。


別に重箱の隅をつつくの訳ではないのだが、私はどうにも気になってしまうのである。


注:もちろん、私が憤死に関して誤った解釈をしている可能性もある。ご指導があれば喜んで甘受する。