■村上の城が落ちた。

製作者の便宜上、創作物には○を、日々の下らない実話や独白には■をつけます。
この前つらつらと見返したところ、自分で一体これは事実なのか創作なのか、何がなにやらわからなくなったため。


今日は独白。


村上さんは詩人になった。何故か皆さんは、村上さんと呼んでいるようだ。
私にはその気持ちがなんとなく解る、私ごときが口を挟むようなものでは無いが。
村上ファンドという名前にはそれだけの魅力があった。
可能性があった。もう一つの未来が確かにあった。そう思う。
村上ファンドがかつて無い制度を作り上げる可能性を持っていたのは確かだった。だが結局、その可能性というやつは恐れられた。
もちろん、現在の制度にである。まあ、リアクションとしての反撃は当然予想されることであったのだが。
問題は予想を遥かに超える反撃であったことだろう、村上氏の想像の範疇を超えていた。
いや、単に我々のというべきかも知れない、奇しくも星野仙一が天罰という言葉を使ったが。これほど今回の事件にマッチした言葉も無いだろう。
やはり、ライブドアという会社を食い尽し、村上ファンドという資本の城を陥落させたのは法でありその執行の意思というのはまさしく天の意思であった。もともと、我々個人が太刀打ちできるような代物ではなかったのだ。


陰謀論というわけでは無いが、日本はこのままじゃだめになると言う意味での闘争で言えば愛国心溢れる戦いであった。すばらしい、私はこの天使と悪魔の戦いに賞賛を贈りたい。
資本よりも法が優先され、法の執行者たる正義が存在する。という幻影を我々に植え付けてくれたおかげで今や桃太郎の時代になったのだから、愛国心が育たないはずが無い。
我々は失われたものを今取り戻したのかもしれないな。


まあ、負けたほうが悪魔になるのはいつものことだ。
しっかし、今回も前回そうだが、没落には中毒的な美があるように思う。
別に金閣寺を燃やそうと思ったわけでは無いが、やはり敗北や破滅や破壊には人を惹きつける魅力がある。


大きなものが出てくればとりあえず壊したがるのが人間という生き物で、かつての物語でそういった経緯を辿らなかった物語を探す方が難しい。
まあ、そういう欲望も今回の件には少なからず影響していると思うが。
とりわけ多くの人間の血と汗と夢と希望を摘み取る、というのは格別で、ボクサーで言う水なんかとはわけが違う。魂を食うほど美味いものは無い。


私は別に水でかまわないのだが、そうも言わない人が私が思うより多いのかもしれない。


いや、個人的には水でかまわないと思っているのだが、こうやって浮ついている以上、私は誰よりも魂を食らいたいのだろうか?