■悲しい言葉。[雑談]

昨日は惜しくも、完全に、完膚なきまでに、負けて、しまった、あーあ、というところで。


本日、私の職場ではさっかとか、かっぷとかに触れる者はいないかった。


あまりに期待していたのか、それとも気遣っているのか?
なんとも人の心というものは解らないもので、どうやら気持ちの整理がつかないというのが正解である。


それも、そんなのが一人ならまだ対処のしようがある、
「そういやあいつは失恋したんだっけか、今日はそっとしといてやろう。」
という風にあからさまにフラグがたって私達は「目に見える地雷」それにだけ注意すればいいのだが。
こうも周りが爆弾を抱えていると、どうにもこうにも手が出せない。


それも誰がアタリで、誰がハズレかわからないからよけい出足をくじくのだ。
皆さんもこれだけ大きな話題らしい話題があるのに、今日はなかなか口火を切りにくかったのではなかろうか?
というのも、溝さらいのビジネスでは鉄則なのだが、できるだけ人間関係における失敗を最小限にするのが成功する秘訣だからだ。


「いやー、負けちゃいましたね。」


などとニヤニヤ薄ら笑いで話しかけようものなら、運が悪ければ鉄建で制裁されるかもしれない。


「あんとき、川口が飛び出さなければ勝ってたよねー」
などと上司に口を滑らせようものなら、その言葉を最後に孤島に飛ばされるかもしれない。
もしかしたら、彼は川淵キャプテンよりもサッカーを愛しているかもしれないからだ。
「え?ワールドカップやってたの?」
などと言われようなら、何の為に地雷原に踏み込んだのか全くわからない。
完全な徒労である。
人間界はかくも複雑であったのか。


これが、マイナーなスポーツならまだ対処の使用がある、というよりそもそも話題にならない。
これだけ皆が皆知っていることだけによけい踏み出しにくいものだ。


それなら、話さなければいいじゃない?となるのだが、これが極めて不自然なのである。
お互いに観戦ていたであろうことは推測できるのだ、もちろん私も見ていたし。
あの結果だ、それなりの感想があるだろう。
しかし、それにはあえて触れないし、うまく避けて通るのだ。


まるで、ワールドカップなど無かったかのように、
みんなしてあの存在を消していく。
あんな時間、あんな場所で、日本代表など、一切、戦わなかった。
みんなして時間を消している、みんなして痛みを抱えてお互い弱った心に触れぬように労わっている。


こういうのは私にはとても不自然でこそばゆくてどうにも落ち着かないのである。


ああ、かくも人間界は複雑であったのか。