■手ははさみでお願いします[評論]

二十人の棋士がいて、二十人のタイプライターライターと二十人のそろばん打ちがいる。
壮観だ。
あわせて六十人がぱちぱちぱちぱちぱちぱちと実に鬱陶しい。
と思ったら朝だった。


こういうわけの解らない夢を見ると自分の脳みそがどうなっているのかち割って調べてみたい気がする。
多分ろくでもない、ガラクタが詰まっているであろうと思うのであるが。
何も出てこなかったらそれはそれでショックだ。


夢に出てくるあの子もかの子も実に象徴的に本人らしい動きをしていて、どうやら私もそれなりの認識能力を持っていたのだなあと安堵する今日この頃である。


ここで一つ大きく話題が変わる、ほんとにどうでもいい話なのだが。
貴方は勝ち組か?
私はたぶん負け組である、何を誰に負けているかというのはこの際置いとくとしても、客観的にとても勝ち組とは思えない。


しかし、ここで勝ち負けの基準に何をおくかが大きな問題であると思われるのだが。ここでは触れない、どうでもいいことである。恐らく多くの人が勝ち負けの基準が年収であるように感じるかもしれないが実は違う、近いかもしれないがちょっと違うのである。まあ、ここらへんの話を探ってもいいのだが本日は別の話題。


そう、負けたとして自分を安易に負け組と呼ぶのははばかられる、それではただの卑屈な男だ。
「しがないサラリーマンですよ」と一流企業の人間が言うのは嫌味でクールだが、本当にしがないサラリーマンはそんなこととても言えない、謙遜や自虐でない場合の没個性は自分がなんでもない人間としてただ成立してしまうからだ。


そういうときに言うべき言葉は「私は、サバルタンですよ、ははは」というのが望ましい。
べつに「プロレタリアです」といってもいいのだが、「プロレタリア」は語感としては余りにかっこつけすぎである。これは良くない、意味がわからない+せせこましい自己顕示欲と受け取られてしまう。とても大器には見えない。
しかし、「サバルタン」である、これはもうなんというか、まるで怪獣みたいな呼び名が実に素晴らしい。意味がわからない+意味がわからない、である、かなりミステリアスで「あの人って一体?」と女の子に思わせるには十分だ。
「私はサバルタンだ、ははは」とでも言おうものなら即座に非現実的な世界が待ち受けている、キャバクラでももてもてである。間違いない。


「彼は勝ち組にあこがれるサバルタンだ」なんてもう成長する気満々である。何か変身とか巨大化しそうだが。
「勝ち組」なんてただ勝っているだけの小賢しい人間にしか見えない。
「負け組」が下を向いて歩くおっさんだとすれば、「サバルタン」は得体の知れない何かに変身する気持ち悪い幼虫のようである。
「ニーと」みたいに世間に浸透しないものだろうか?




サバルタン」意味:下層の人々、エリート以外全部。