■旅行記が書きたい。

どうにも旅行記が書きたい今日この頃。


といっても一介の雇われ人にはまとまった休みを取る暇もないから、行きたいなあ、行けないなあ、という欲求不満のたけをこうやって精一杯ぶつけている。


例えば人生が有限だとして、一個人が見て周れる世界には限度があったとして、今日も明日も行為という行為においてひたすら人生をすり潰しているなら、そりゃあ旅に出よう、食べに出ようということになって当然だ。


この、規則的で不規則な直線がいっぱい引かれた使い古した世界から、まっさらな白紙の世界に線を引きに行かないか?
そんなこといわれたら、手を上げるのは当たり前だ。


そういえば、私は学生時代一人旅をしたことがある、といっても大したものではない、本当に近場をふらふらしただけだだったし、誰もが経験したことが無いハプニングなんて起きなかったし、またそういう危険な場に飛び込むこともしなかった。だが、私はそれでも十分に楽しかった。


言葉の通じない世界というのは、私の持っている私から私を奪いまた新たな私に近いものを私に与えてくれる。
旅をしている私は常に空想の私であって、私にとても近いのではあるが、結局私自身ではないというところだろう。
変身願望がある人は旅(というか外国)に憧れるのではないかなぁと思う、どうしても旅というのは想像が先にあり現実は常に後背を追いかけている形になるから、旅中においては自身が想像し配置した自身というとても居心地がいい現実を生きることが出来る。


現実逃避いい言葉である。


こうやって、日々をすり潰しているとどうやら旅メーターがたまってしまうようで、ある日突如として何かに呼ばれたかのようにふらっとでかけてしまうのである。