■君はゲームの夢を見たか?[雑談]

しかし、過去の私はゲームに恵まれた子供ではなかったと思う。
というのも当時のゲームは今では考えられないほど高価でゲームソフト一本一万円を下らなかったのだ。
というわけで私がゲームソフトを買えたのは年に2回ほどだった、すなわち誕生日とお年玉である。
我が家のクリスマスはなぜか子供の将来に役に立つ「本」が中心にプレゼントされるのが使用であり、地球儀やら世界地図やらと実に見事に子供の期待を裏切ってくれた。どうやら我が家にやってくるサンタは他のとは違ってちょっと博識だったのだろうか?それとも紀伊国屋を脱サラでもしたのだろうか?


当時のゲーム、といっても私が買っていたのはほとんどRPGだったのだが。これには理由があってRPGが一番長く遊んでいられるから、という我が家の経済状況を鑑みた悲しい事情があったのだ。


当時の私はゲームを買ってもらったら出来るだけ熱心に遊んだ、そりゃあ当時の私に与えられていた小遣い月「5百円」では逆立ちしても手に入らない品物だったから随分真剣に遊んだものだった。


そういうわけで、当時の私はゲームが大好きだった。まあ、高校大学とゲームをする機会ももちろんあった。だが、当時以上に真剣にゲームをしたということは無いと思う。
あの少年時代はどんな糞みたいなゲームをやったとしても真剣に楽しまなくてはならなかった、それ故、私はドラクエ3ほど頭を抱えたゲームを見たことは無いし、ロマサガ2ほど頭にきたゲームも覚えが無い。


というわけで、「昔のゲームは面白かった。」と言われる由縁にはここらへんに理由がある。


だからよく言われるゲーム脳というのはどう考えてもおかしい、あの当時のゲームはキレやすい子供の手に負えるような代物ではなかった。
キレやすい子供がレッドオーブを手にいれることなんてとてもできないと思う。
私はこれだけは自慢できる、当時のRPGゲームをクリアするには不屈の忍耐力と、汲めど尽きぬ集中力、決して諦めない不断の精神力が必要だったと思う。
実際よく言われるキレやすい子供はゲームなんかすぐに投げ出して健全な野外スポーツに走り回っていたと思う。


しかし、あの頃のゲームは今では考えられないほど不親切であった。
私が持っていたゲームは本数は少ないのだが、今でもよく覚えている。


[ドラクエ] 「話す→南、そこには誰もいません。」なんてよくやってたなあ。


[ドラクエ2] 復活の呪文は気を付けていても写し間違える、特に長い間プレイしてほっとした瞬間は格別だ。ほとんど犯罪といってもいいと思う。


[ドラクエ3] 冒険の書が消えるというありえないアクシデントには途中でなれた。だがそれを置いても、随分不親切なゲームだったと思う。手順が見えない宝探しのようなものでストーリーも皆無に近かった。なんだかよくわからないまま行き着いたダンジョンに突入するという流れは、もう穴があれば突入あるのみという短銃明快さで成り立っており。勇気というよりも無謀である。よくRPGに見られる「いきなり旅人に悩み相談」という流れもほとんどなかった。


[FF3] これはもう、マゾの領域だ。でもラストダンジョンはそれほど苦痛ではなかった。
それより小さい世界から出てきた後どうしていいか途方に暮れた。あとでかい鼠に難儀した。


[FF4] 未プレイ、名作らしい。


[ロマンシングサガ2] 初めて買ったスーパーファミコンソフト、超序盤のイベント運河要塞で詰まった時には泣きそうになった。結局正面突破する必要はなかったものの、トカゲ二匹と鈍器を持った牧師に何度も殺された。ボクオーンとか女王蟻とか嫌な思い出ばかりだ。ちなみにというかお決まりのラストダンジョン七英雄戦直前セーブももちろんやった。
でかい蛇のトリプルヒットを始めて食らったとき友達と一緒に爆笑した。


[FF5] 私にとって初めてのストーリもの、今思えば簡単なストーリだったが小学生の私には何が何やらわからなかった、世界が二つあるという構造がいまいちわからず世界が変容したのだとばかり思っていた。いつの間にか爺さんがいなくなって女だらけになった。ラストボス前の最後の中ボス戦では何故かボスがいきなり二匹に増えた挙句自爆してどっかに消えた。無がどうしたこうしたとかよくわからないことを言う木の化け物を、何故かわからないまましばき倒した。とはいえ、随分進めやすくなっていたと思う。が、反面行き詰まることもなかった。


[FF6] これもよくわからなかった、とにかくやたらと奇妙な声で笑う奇妙な格好の男をしばくストーリーだと理解していた。サムライの男が好きだったが。いまいち使い勝手が悪かった。ちなみに「必殺技をだせ」といわれた序盤のイベント戦闘で数十回全滅した。


[信長の野望スーパーファミコン版] 私が島津で友達が伊達を選び夏休みの一週間かけて全国制覇を競いあった、結果は私の大勝だった。島津の鉄砲は騎馬にめっぽう強かった。CPUは当初の兵力差こそ脅威だったが一度コツを覚えればたいてい勝てた。


しかしほんとうに時間がかかるゲームばかりやっていた、時間を随分無駄にしたような気がする。
モモに取り返してもらおうか、ま、しかし今思えばこれもいい経験だったなあと思う。