アタイという幻想



長年といってもそんなに長くは無いが、私は私の人生において「あたい」という自称を聞いたことが未だに無い。
そしてそのような呼び名が、何時、どの地方で使用されていたかも定かではない。
さらに、そういう呼び名が現実に存在したかどうかも私にはさっぱり定かではないのだが。


どういうわけだか私の脳には「あたい」なる呼び名にはすれっからしのじゃじゃ馬、「蓮っ葉」的な幻想が植え付けられている。


これが良くわからない、私は自称自体を聞いたことが無いし、そもそもの根本の検証記憶が欠落しているのにである。
これが拙者とか某とかであるなら曰くは時代劇だろうなというところで納得できる。
そして武士が使用しているというイメージは、武士が使用していたという現実過去の検証から派生されるイメージでもある。
が、「あたい」に関して該当する記憶が存在しない。


物心ついたときには「あたい」はもう「あたい」としての個性を獲得していたし、それがどういう由来だったかなんて考えもしなかったのだが。


どこらで「あたい」が「あたい」なる人格を獲得したのだろうか?
関西人で無いことは確かである、関西には「ウチ」なる奇妙な自称が存在し今も時々耳にする。
「ウチ」という呼び名の個性は実際の使用者から派生するイメージである。
そういえば、「僕」という呼び名は平安時代からあるんだよなあ。


しかし、どうもよくわからない、「蓮っ葉な女の子」というのは性格であって、呼称自体の属性とか検証可能な過去性とかそういうもんで無いような気がするのだが。
まあ、過去の時代のどこかで「蓮っ葉」な女の子が好んで使用していたからという理屈も成り立つといえばそうなのだが、そういう「蓮っ葉」な女の子という属性がどういう境遇の女の子に成り立つのか一切不明だ。
「私」は、という自己付言の意味的に明確な意志が感じられない。


これはやはり、廓言葉なのだろうか?
これだと「蓮っ葉」とか、現代では消えていった言葉という過程もある程度理解できるのだが。


参照によると、あたしがくだけた言葉だというのだが、「蓮っ葉」なるイメージがどういう過程で付随して行ったのか気になるところではある。