壊れていくPC



キーボードがパタパタと壊れていく、参った。
ノートなのでいかんともしがたいのだが。
目下のところはAが上手く反応しない、→が全く反応しない。
エンターキーが剥き身である、という問題が発生している。


私のPCは購入したのが2001年だから、今年で6歳になる。
これは寿命が近いのだろうか、まだまだ現役なのだろうか?
詳しいことはよくわからない。


しかし、徐々に老化してくPCには悲しい哀愁をそそるものがある、だんだんと反応が鈍くなる、時々思考が止まる。


生まれたときは、生命維持に必要なプログラムだけが詰め込まれていて、思考の動きも若々しく速い。
だが、徐々に様々な雑多なプログラムを取り込み、だんだんと自身が詰め込んだ偏向プログラムに圧迫され思考が典型化され、ダイレクトな反応に鈍くなっていく。


それがストレスになってくると、様々ないらないものを取捨して、思考の純化をはかる。
これで、自己の習慣的プログラムが確立され、挙動が安定し、一定の挙動に対しては忠実な反応を示すものの、残された余裕は少なく、新しいプログラムに手を出すのが億劫になってしまう。


さらにある程度の雑多な記憶が溜まると、不意に軽度の思考停止が頻発化し、安定した信頼できるパフォーマンスを得られなくなっていく、だが、まだ生命維持に必要なプログラムは上手く稼動し、朝起きたり、夜寝たりするのはたまらなく遅いものの、致命的な欠陥はまだ見られない。


だがさらに、時が経つと彼は自身には受け容れがたいハイスペックで進歩的なプログラムがちらちら目に付き始める、そうこうしている内にだんだんと自身に受け容れられるプログラム自体が少なくなっていっていることに気付く。
やがて致命的なエラーが頻発し、記憶を全て洗い流すという荒療治を選択せざる終えなくなる。
その結果、朝起きたり、夜寝たりするのはとても早くなるのだが、機能自体はとても不安定で現実的には使えない奴に成り下がってしまう。
そろそろ、しおどきかもしれないなどと思いつつも。
健気に立ち上がってくる姿にほのかな愛着を覚えるため、第一線は離れようとも。まだ使用分野を一部に限定した役割を与えられる。
だが、彼の内部ではエラーがエラーを呼び、致命的な破綻が迫ってくる。彼に残された時間はだんだんと削り取られていく。


そして、ある日突然にブラックアウトし、その生涯を終えるのだ。