It will came in August

梅雨前線がその戦線を延びきらせて北上し、天に張り付いた太陽がその全盛期を迎える頃、私達の町では祭りが始まる。


その時、私はもう既に私の周りを緩慢な動きでせわしなく飛び回る蚊の撃退を諦めていた。
薄暗い板張りの廊下と軒下に置かれた蚊取り線香は夏の匂いを運ぶだけの代物のようだ。私は既に致命傷にはほど遠いものの、左手と首筋にいくつかの襲撃を受けて、目下のところウナコーワによる応急処置を試みている。
そもそも、裏の池を何とかしないことには蚊の勢力は減ずることも無く、抜本的な解決にはなり難い。
ましてや、ここにはエアコンなどという気の利いた機器も存在していないから窓は全て開けっ放しなのだ、どこかの家庭の使い古しだろう、老朽化した扇風機がからからと音を立てて首を振っている。
今は夜も帳を下ろし、幾分暑さは和らいだものの体感的に暑いことには変わりは無かった。
築18年モルタル2階建て、町内会の公民館である、そうそう都合よくエアコンなどあるわけもないか。


私はキノシタのおばちゃんに配られたアクエリアスに口をつけた、ぬるい。


既に今日の準備は終わり、大人たちは酒盛りに向かった。
私達は神輿を担ぐ役に駆り出され、夕方から5時間ぶっ続けで神輿担ぎの練習をやらされていたのでもうくたくただった。
わが町の子供はほとんど無理やり駆り出されているのだろう、クラスのほとんどの男子の顔がうかがえた、年少組は子供神輿を、私達中高組は大人に混じってでかい神輿を担ぐのだ。
元々は神輿は三種類あって子供神輿と本神輿、さらに青年神輿なるものもあったのだが、少子化の影響で青年神輿は廃止され今は倉庫に眠っている。


年少組は早々に帰路についていたが、私達年長組は何をすることも無く、軒下に腰をかけて涼んでいた。
家まで自転車で20分もかかるのだから、なかなか足を踏み出しづらい。


そうこう暇を潰しているうちに、畳の向こうではなにやら怪しげな話が始まっている、今日の場合もちろん主役はタカヒロである。
私は混ざろうかとも思ったが、やめておいた、話題は大体予想がつく。


タカヒロ!、てめえ。」
予想どおり怒声と、そして歓声が上がる。
「遂にハヤシとヤリやがったのか?」
私の知らない先輩だろうか、作業着のガタイのいいあんちゃんがタカヒロの胸倉をつかんでいる、顔は笑っているから多分冗談だろう。
タカヒロもすんません、すんません、と平謝りしているワリにはとても楽しそうだ。
「で?どうだったんや。」
「いいっす、さいこーっす、」
タカヒロは素直に答えたが。
赤黒く日焼けしたあんちゃんは「この野郎」とばかりに首を締め上げた。周りの男供もはやし立てる。
「こいつ殺したってくださいよ、ヨシオカさん。」
「死ね、死ね。」
「おい、てめえら!ちょっ、タンマ、ほんとに死ぬ。」
ヨシオカと呼ばれたあんちゃんはタカヒロの首を締め上げてつつ、頭をこぶしでぐりぐりしていた。


私は特にショックを受けなかった、つまり随分前から予想されたとことだ。ヤマシタタカヒロとハヤシヒロコは二年も前から付き合っていたのだから。
そしてハヤシヒロコは男どもに人気があった。飛び切りというわけではないが、10人に1人、クラスで3人ぐらいいるかわいい女の子のうちの一人だった。


私はこれまでそのような男と女のなんとやらに触れることがなかった、男子のほとんど大部分がそうだったし、
そういう世界があることは知っていたが、相手になるべき女の子達ははみんな子供の頃から知っている幼馴染のようなもので、新たにお互い男と女になるには幾分相手を知りすぎていた。
雑誌で見る過激な性描写はどこか遠くの国で起きている出来事のように思えてしょうがなかった。


結局幾人かが男としての責務をなんとか果たしたものの、それはすぐに皆に知れ渡り、好奇心旺盛な青少年達に追い詰められ、抜き差しならない状況に追い込まれたのだった。
私にはそれはロクなことじゃないように思えた。


しかし、ハヤシとタカヒロは既にそういう端的な興味の範疇を越えるほど長く付き合っていたし、あまりに長い停滞に結局最後まで何も無いんじゃないかと都合よく解釈していたものも多かったのだろう。
同じ畳の大部屋にいた、大勢がため息をついた、もちろん私もである。


気付けば、渦中の話題はその行為の成否ではなく、その細部描写に及ぼうとしていた。
つなぎのあんちゃんはそういう話を聞きだすのが非常に上手く、タカヒロも簡単に観念したようだった。
男たちはその日、その場所で起こった行為の詳細を聞き出すことに成功し、その故にため息をつくことになり、それでも身を乗り出していた。
結局、全てを聞き出して、そしてやっぱりため息をついた。


私はキリのいいところで畳の大部屋を抜け出て、公民館を出て自転車で自宅に向かった。
結局、私のため息は増えるだけであった、闇夜に浮かぶ山の稜線と、田に張った水に映る街灯の火が夜を私によこした。
無性に女の子の声が聞きたくなった。


その時、願いが聞き届けられたかのように不意に背後から声を掛けられた、声の主は、ハヤシヒロコ。
「イチさん、お祭りの準備?わたしも、やっと終わったとこ。」
どうやら女の子も駆り出されているようだった。
私達は長く顔見知りで彼女は私をイチさんと呼ぶ、そういう仲といってもこの町では誰でも当たり前のことだ。
ハヤシ、さっきのことがあったせいなのか随分かわいく見える。
ハヤシはくすくすと笑っている。
「どうして、わらうんや?」
「ほら、太鼓の音。」
言われて、耳を澄ませると、山向こうに太鼓の音が微かに聞こえる、太鼓役はまだ詰めの特訓中のようだ。
「酷いでしょ。」
「そうな、てんでばらばらや。」
「私のお兄ちゃんなのよ」
そういうと、ハヤシはとってもおかしいというようにこちらを見た。
やはり、かわいい子だった。
「ずっと練習サボっていたんだもの、今夜は徹夜だって。」
「あれで間に合うかな、明日」
「イチさんが去年太鼓役だったでしょ、ミキヤスの班長さんが万が一の時はイチカワにやらせるって。」
「俺が?無理だって、とっくに忘れたよもう。」


去年の思い出はひどい筋肉痛と、まずいお酒の味。


「だから、必死なのよ、それがおかしくって。」
ハヤシは太鼓の音が聞こえる方を見てくすくすと笑った。
「じゃ、わたし、おいちゃん家よってくから。」
そういって、ハヤシはあぜ道に漕ぎ出した、勢いよく坂道をライトもつけず降りていく。


私は自転車を漕ぎながら太鼓の音を聞いた、山向こうから打突音が聞こえる。
反対側の山には稜線に沿って都会の灯りがオレンジ色に輝いている、
夜風に運ばれる和太鼓の音はだんだんと本来のリズムを取り戻しつつあった、さすがハヤシの兄貴だ。


明日は夏祭りの日、家まではまだ、時間がある。