休日をブログで消費する。



友達いないのか?
NO!NO!NO!NO!NO!
暇なのか?
YES,YES,YES,YES,


ま、そういうことです。


ハリウッド映画に日本人があまり登場しないのはどういうわけだろう?
というのも、例えば初代スタートレックにはカトウという日本人らしき乗組員が登場するが、実は彼はフィリピン人と日本人のハーフという設定である。
純粋な日本人というのはあまり物語の「演」としては出てこない。
物語上の設定としても、だ。
多くは日本のモチーフとして日本という「場」に限られている、日本を舞台にした作品という場の設定がなければ日本人は登場しにくいのだろうか?
近年の「ラストサムライ」や「ロストトランスレーション」「キル・ビル」「パールハーバー」という作品があったが。
これらで描かれる日本像というのは奇怪な印象像や異世界の前提を持って語られ、ハリウッド世界と同時平行に存在しているという意識は無いようである。
というより、実際物語の「場」でしかなく、あちら側に存在する一人の日本人という個に関してあまり踏み込んだ描写が無い。
あちら側に日本人が登場したといえば「インディペンデンスデイ」の奇怪な日本語を喋る旧日本軍のような自衛隊の映像ぐらいでしかなく。
どうも向こうの物語に日本人が登場することはあまり活発ではないようである。
もちろん、人種差別的なものもあるだろうが、黒人や中国人、果てや韓国人が自我をもって登場するに当たって。(韓国人は随分やな役だったが。)
単純に日本人像がハリウッド映画では使いにくいのだろうか?とも思う。


私としては悪役でも、自我を持った日本人が出てこないものかと感じているので、アメリカで活躍する日本人像というのはマツイやイチロー、ノモ、なんかもいることだし。
そろそろ出現してもいいような気がする。


ただ、日本人がああいうハリウッド映画においてどういう登場の仕方をするかといえば、難しい気もする。
底抜けに前向きなアメリカ映画に武士道禅たる寡黙な日本人が登場してもなあ。
それこそ、五右衛門のような立ち位置になるのだろうか、そんなのどうしようもないと思う。
かといって眼鏡スーツに首掛けカメラというバブリーな日本人というのも古臭いし、二時間の枠内にわざわざ出す必要があるのかという気もする。
やはり、主人公のサブ的役割の道具屋あたりが妥当かもしれない。最新電子機器を取り揃えたりするのだ。
そうなるとアメリカンとしては貿易の問題も絡んで背後関係が複雑なのだろう。
未だに、日本車は映画内では酷い目に逢っている、ああいうのを観るとまだまだ根は深いのかもしれない。


何より日本人に付随するイメージが二極化しているのが問題のように思う。
頑固な職人か金持ち世間知らずという相反するややこしいイメージ像はハリウッドでも手に負えないのかもしれない。そして、それらのイメージが我々日本人にとっても扱いがたい難物であることも確かだ。


この両者の齟齬を埋める方法として、
最も良いのは、恋愛物語に日本人が恋愛対象として出てくるのがベストだと思うが、どうだろう?
難しいが不可能ではないとも思う。
逆に、日本のドラマで日本人が西洋人と恋愛するドラマというのも物語としてはそう難しいことでもないし、その時期が来る前に。一本ぐらいは作っておく必要がある、とも思う。