残り二十パーセントはやさしさです(嘘)



まず、id:macskaさんへのお詫びとブログ題の訂正。
半分以上ということで、80%ほどでどうでしょうか?(明日には戻すつもりですが。)
私の書いたエントリで不快に思われたなら深くお詫び申しあげます。
正直なところ、こういう本を買った、私はこう感じたというだけですので他者を不快にさせる意図は無いです。


次に、こちらの遠隔地はアクセス数一日一桁がざらです。
そういう意味で、誠ににありがとうございます。
私の場合、人に読んでもらえているのかという難題がまずあるからです。


では、少しだけ、触れさせていただきます。
反論というわけではありません。 弁解です。
実際不快に思われたままというのもなんですし。


まず最初の項。
インタビューで触れているのは違った言い回しです。(引用という形式は取っていないのですが。)
具体的には「ジェンダーが無くなったら。。」以下の部分です。
ジェンダーフリーという用語がジェンダーレスレスとが混同されている日本社会で、「人格を抑圧されたのは女性であるあなたではなく、あなた個人の問題でしょ?」という問いに答えられなくなっている、それは問題だと私は受け取りました。
それでは悪化しているではないか?という疑問です。
ジェンダーフリー論者達は各々が微妙に違う信念のもと草の根的に個々の問題解決に奔走した結果、個人的な問題に集約され、本論がなんなのか解らなくなったのでは?という問いです。


次、
次は引用しなければなりません、(著作権に触れなければいいけど。)

222P
Y(山口)−トランスジェンダーレズビアン、ゲイ、そしてバイセクシャルの運動家のなかに、ジェンダーフリーという考え方に賛成している人もいるのですが?
M(ジェーンマーティン)−とてもあぶないと思います。
以下省略

この引用で間違いがあるでしょうか?


予算に関して、
10兆円もらえなかったという彼らの主張は解ります、しかし、だから何も変わらないというのはあんまりです。
ではいくらかければいいのか?それがわからなければ誰も賛成も反対もしようがありません。
10兆円貰えていないから出来なかったのでしょうか?
10兆円貰えば出来ることなのでしょうか?


macskaさんが学生でなく社会人ならば、学校はともかくとして、社会には女性が自由に生きるにおいて様々な障害があるのがわかるはずです、加齢とともに障害はましていきます。ジェンダー論者は結果的にそれらの問題を野放しにしたままです。私の周囲では事実そうです。
端的に教育に固執したのは正しい道だったのでしょうか?という疑問です。
山口智美さんが触れられていますが、法律にちゃんと載っている言葉は日本人にも正しく理解されていますし、もちろん法律だけが道ではありませんが。そういった解決策を模索しなかった、あるいは出来る時にやれなかったという責任はそれが可能だった人間に問われるのではないでしょうか?


ブレンダという少年について、
私があの箇所でジェンダフリーという言葉を使ったのは確かに私の誤りです、誤解を与える記述で申し訳ありません。
しかし、という留保がはいることを許してもらえれば、
小川エミさんは同じ項で「成功例もある」と意図してかしないかわかりませんが、留保として書いています、少なくとも私はそう読み取りました。
これは私には理解不能の記述です、あの時代、様々な非人道的行為が治療という名の下に西洋を中心に、もちろん日本でもそうですが行われました。
人体に対する理解が足りなかったといえばそれまでですが、この行為と意図に留保の余地は無いはずです。
そういう意味で、現代においてそこに留保という意味をおいてしまうジェンダー論者に私は疑問を持ちますし、そういう意味でそういう論者は男女平等に弊害だと考えています。
「確かにマネー説は誤りだった、しかし、」はあの時代の悲劇のどの文脈においても成立しうる話です。
それでは同じ悲劇が起きるのではないか?とさえ思います。
我々はそういう疑問を持ってはいけない位置にいるはずです。
「もし成功していれば、」というフレーズは筆足らずで申し訳ありませんが。
もし成功していれば現代のジェンダフリー論者(この文脈では小川エミさん)はこの実験結果を利用したに違いないと感じたからです。これは文章から受け取った感覚で仮定の話なのでどうともいえませんが。


最後のがちょっと理解不能です、答えようが無いのですが。


私の感想ですが、
誤読という言葉が多少気になりました、本を読むのに正しい読み方、受け取り方というものがあるでしょうか?
私にはそれってまさにバイアスじゃないの?と端的に感じるのですが。
自由とはそういう誤読を含む余地があってこそではないかと思いますし、付言されることがあらかじめ予想された本だとも思いますので。
まあ、私の文章に何を感じてなにを書くかあなたの自由ですし、それは保障します、というかありがとうございます、私には弁解することしか出来ませんが。


このエントリに関してなにを書くか、無視するか、鼻で笑うか、はあなたの自由です。
ですが、私としてはこれ以上のやり取りは望んでいません、当方としましてはこれ以上この問題に付言することは避けさせていただきます。