だからなんだ、とらとかうまとかチョーシこきたい年頃なんだ。



私はトラウマのある女性が苦手だ。
しかし、どういうわけだかそういう女の子に好かれる。
そしてどういうわけだかいつの間にか私がフラれている。


なんと言うことはない、私が別れを切り出さないからだ、そんな奴は履いて捨てるほどいる。


事情はよくはわからないが、10数年余りの人生を考えうる限り不幸に彩った娘が寄って来る。
原因はよくわからない。


まるで私が空気か壁か、人形か、まるで何も意思表示のない笑顔だと勘違いしているようだ。何故に?
まあ、確かに、許容範囲は広いように思う。
昔、見知らぬ男に声をかけられてトイレで下の世話をしたことがある。
「手が不自由だからトイレの世話をしてくれ。」
今考えると非常におかしな話だが。当時は「障害者が困っているなら手助けをしよう」という気になったのだから馬鹿だといえばそうかもしれない。
そのときの私には男が確かに障害者に見えたのだが、何のことはない、ただのホモ野郎であり、極太のペニスを持たされた私は大層混乱した。
まあ結局、穴を掘られることも、射精に至る行為も無かったが。
ああ、私は頭がおかしいのだな、と理解する結果となった。
ま、なんというか、わけのわからない理解というか、無謀な共感というか、そんなのは馬鹿のいい訳であり、そういう馬鹿を繰り返すのは馬鹿野郎だってことだ。


そういう馬鹿は結局のところ、何かの対価として払われるものであって。
自覚があるにしろないにしろ、そのツケは負わなければならんのだ。
そういう無自覚なところに群がってくる掃いて捨てるだけの愛情などいらんのだ。


トラウマでも家庭環境でも何でも笑って聞いてやるが、だからといって、下の世話まで出来ませんよ。
泣いたり、笑ったり、そんなことで射精できるなら、もう十分それでいいじゃないか。


馬鹿なんてものは、やっぱり馬鹿だってことで、誰にでも馬鹿だってことは正真正銘の馬鹿だ。
とかいってると、いつの間にかフラれたりするのかもしれないな。