春は確かに。



私はゴダールとか、トリュフォーとか、まあそういう映画監督が大好きだと公言するような人間を信用していない。
映画といえば安二郎だとか、明だとか、あの時代の映画こそ最高で、現代の映画は全て死んでいる。
などと公言するような人間を信用していない。


ハリウッド映画は大味でつまらないと公言するような人間はそもそも友達になれない。


そんな奴は掃いて捨てるほどいる、いいから、好きなだけ街宣カーに乗ってでも訴えるがよろしい。


だが、だから、私は覚えている。


私がいる場所は春。
覚えてさえいれば、いつか確かになる。
西風が、綿毛が飛んで、風が舞って、結婚式がある。
思いがけなくはっきりと目が覚める、
不意に目が覚める。


朝があって、緑の山野がみるみる赤く色づいて、炎が闇を照らす。
人は昨日も笑い、明日は結婚式だ。


だから私はまた目が覚める。
私が覚えているのは春、ここは春。
西風が吹いて、綿毛が飛んで、風が舞って、結婚式がある。


交わす視線と言葉は一つの意味で、私のいる場所は春。
だから、風が吹いて、綿毛が舞うのだ。


そんなことを大声で言いたくないから小声で言う。


アマルコルド!