「死刑執行、自動的に進むべき」 鳩山法相の提言に関してちょっと

もはや何のブログかわからないありさまで、以下略。

鳩山法相の提言と、ブクマをちらちらとみていたので、
ちょっと、誤解があるな、という感覚があるので少し。


以下

死刑執行命令書に法相が署名する現在の死刑執行の仕組みについて、鳩山法相は25日午前の退任記者会見で「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う」と述べ、見直しを「提言」した。

 現在は法務省が起案した命令書に法相が署名。5日以内に執行される仕組みになっている。

 鳩山法相は「ベルトコンベヤーって言っちゃいけないが、乱数表か分からないが、客観性のある何かで事柄が自動的に進んでいけば(執行される死刑確定者が)次は誰かという議論にはならない」と発言。「誰だって判子ついて死刑執行したいと思わない」「大臣の死生観によって影響を受ける」として、法相の信条により死刑が執行されない場合がある現在の制度に疑問を呈した。

http://www.asahi.com/national/update/0925/TKY200709250116.html

死刑に関して私自身が存置なのか廃止なのかについては特に付言しない、しても無意味だし。


○死刑に関してとても詳しいサイト→http://www.geocities.jp/aphros67/indexs.htm


では「法務大臣と死刑」に関して付言してみようか、


まず、日本の現行制度では死刑囚には死刑確定後6ヶ月以内に刑が執行されなければならないことになっている、以下より。

刑事訴訟法第475条

死刑の執行は、法務大臣の命令による。
2 前項の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。

もし、上記を忠実に守るとすれば、再審の請求が却下された後、速やかに刑が執行されなければならないはずである。
しかし、現在そうはなっていない、その理由は大きく二つあるとされている、(されている、というのも死刑執行の順序や決定の基準などが闇のベールに包まれているのではあるが。)
冤罪可能性と世論である、冤罪の可能性がある死刑囚はあたかも終身刑のように半永久的に拘置されることになる。
かたや、宅間守のように死刑確定後即座に執行される例もあるが、その基準は曖昧である。


また、世論にあわせた死刑執行というのも、「政権担当者の政治的パフォーマンスとしての死刑執行ではないか」との声が挙げられている、死刑は法によって裁かれるべきで為政者によって裁かれるべきではないという声である。例えば、天皇陛下に関する諸慶賀行事にあたる時期は死刑は執行されないという暗黙のルールも存在する。


とはいっても上記刑事訴訟法第475条を厳密に運用させるのは現実的には難しい。(私は改正すべきだと思うが。)


例えば、免田事件などに見られるように死刑確定から30年以上経ってから無罪が確定する例もあり、現在はその場その場で運用されているのが実情である。(基準と呼べるものは無い)
この部分はまさに死刑存置派の怠慢というべき部分で死刑が確定しさえすれば後はどうでもいい、とまでは言わないが、社会的暗部を曖昧なまま放置している、死刑そのものには積極的に賛成するが、しかし死刑制度に関しては為政者の人的手腕に任せっきりで果たしてかまわないのだろうか?


さらに、法務大臣の問題、

この問題は例えば死刑執行人と殺人、というような問題とは少し違った側面を帯びている。
もちろん、死刑の執行は法務大事の公務であるし、黙々と死刑執行人と同じように公務を果たせば良い、
だが、死刑制度には上記の制度上の問題があり、法務省には法外の裁量権と呼ぶべきものが事実上存在してしまってる、悪く言えば命の決定権を持ってしまっているのである。


現在、この命の選択権は法務省、いや、事実上の決定者、法務大臣一人の上覆いかぶさっている、選択権のない死刑執行人とは事情が大きく違う。
死刑執行人は自身では死刑を止めることはどうやっても出来ないが、法務大臣にはそれが可能なのだ。
これは、海部内閣時代の法務大臣 左藤 恵 が死刑執行命令書に一切サインしないという信条を貫いたことから始まると思われる。(この時期はモラトリアム期ではあったが、)
つまり、この瞬間、公務としての死刑執行命令が突如信条の問題として法務大臣の選択権に上がってしまったのである、執行を拒否する権利を法務大臣に与えたがために逆に執行に公務外の責任をも発生させてしまったといってもよい。

彼は「私は浄土真宗の寺の住職でもあり、宗教人として人の命の大切なことを人一倍感じている立場からも執行を許可するサインを拒否した」と語っており、明らかな個人的信条に基づいて死刑を止めたとだろうとは思うが。


私はこの時何故佐藤 恵法務大臣を罷免しなかったのかどうしてもわからない、彼の後の法務大臣には死刑を止める権利と死刑を執行する責任が与えられてしまったのである。どう考えても一人の人間が決めていいことではない。(当時の世論の空気としてはある程度佐藤氏に好意的であったことも付け加えておく。もちろん批判もあったが。)


まあ、いい、ともかく、現在の状況は非常に曖昧で、法務大臣のペンひとつで命が決定されている状況であり、さらに、その状況を逆手にとって、死刑反対派、死刑賛成派共に法務大臣にその責があるかのように振舞っている。

法治国家として全くもってナンセンスである。
問題は法務大臣一人に事実上死刑を否定する権利があるという部分であり、ここを何とかしなくては日本の死刑制度は法治国家として立ち行かないのではないかと思われる。