テレビとネットで似てるとこ。

つーか昨日のエントリもそうだけど、結局話にならないんだよなあ、こういう議論って。


なんつーか、もう決まってるってつーか、


ばーか、はい終了みたいな。


日記書くときは結構気合入れて書いていたとしても、それがストレートに何処にも行かないというか。
結局ブクマでくさしてるほんとどうでもいい一言のほうが力があったりするから別にブログの意味ないんじゃないのとか思ってみたり。


例えばアベ政権は一言で言うと無責任内閣だったよ、とかいうホントくだらないほんのちょっとの無意味な一文で、だよねーみたいな。


結局マスコミとネットは同じ客を食い合うライバルだとしても、やってることは舞台装置が違うだけで劇の内容はほとんど同じで、短く端的にあらわせば、ってだけで終るんじゃないのか?


こしこし調べて長文書いたとして、じゃあ、それがどれだけ力があるかといえばその長文を読む気がある人間だけだし。
大多数の人間はそんな長文にはほとんど目もくれることもなく、「だれだれはアメリカの犬だから」みたいな単発一言で片付けられるしそれで問題ないところがある。


引用のほうが長くて、結局のところ「こんなこと言うやつ馬鹿だね」、みたいなのって何に似てるって、ワイドショーのコメンテーターと大して変わらんのじゃないか。


実際は、ほんの少数の直接利害関係にある人間だけが問題についてこしこし調べなきゃいけなくて、大多数は関係ないわけだからワイドショー的なダメなヤツ、良いやつって分け方でも十分成り立つんだよなあ。
で、どの意見が表層に出るのかっていうと、ダメなやつ、良いやつレベルの大多数の人間の意見なわけで。


例えばだけど、死刑については実際日本では賛成派が多い、しかし実際深く突き詰めると死刑と冤罪とかそういうややこしいことに直面する、けど大多数の人間には利害関係なんて存在しえないし、もちろんそれでかまわないのだけど、冤罪なんて端から頭にないというか、自分が死刑を支持するためにはどうでも良い、しかたないからもう考えに入れない、無視する見たいな感じか。同じようなことは廃止派にもいえるだろうけど。


結局、多くの日本人がワイドショーを好むように、ネットでも痛いニュースみたいなネットワイドショーが好まれ、長文こしこしってのは意味がない、意味はあったとしてもそれ読む人はもう片足突っ込んでるような人だろうからな。
まあ、どちらが良いとかじゃなくて、結局深く調べる必要がある、深く調べてって既に少数派じゃんてとこが言いたいだけなんだけど。
やればやるほどどつぼにはまるし、例えやりきっても「あいつは馬鹿だから」みたいなのに勝てるわけもないんだよね。