揉め事ってタグは酷いと思う

まあ、どこそこかに同じようなことが書いてあった気がしたのだが。


私はあまり揉め事が好きではないのでこういう僻地でノンボリとブログッてるんが良いのだが。
あまりハテナ村でも絡まない。空気読むの苦手だし。
だが、たまにブログ界隈というよりハテナ界隈ではブログ抗争が起きているのは知っている、IDコールのせいかな?


でまあ、血で血を洗うとは言わないが、
それなり互いに正論と正論をぶつけあって戦っているように見える。
で、ブクマにつくのが「揉め事」タグと。


いや、揉め事には違いが無いのだが。


はっきり言って当事者は命を賭けて論争をしているわけですよ(多分)、右翼か左翼か、保守かはたまたリベラリストなのか?
それこそ、ブログを張ってるわけで、論争に負けると結構なダメージがあったりするのだろうし、一度論争に負けると結構精神的ダメージも大きいんだろう。負けたログは残り続けるし。


夕食も喉を通らないくらい?かどうかは知らないが喧嘩は大変なのだ。
揉め事を経験したことが無くても、人狼やったことある人なら分かるだろう。


で、そんなこんなを「揉め事」一言で片付けちゃうのはどうなのだ?
これでは必死に揉め事っている人があまりに可愛そうではないか?
少なくとも喧嘩売ったほうと売られたほう、巻き込んだ人と巻き込まれた人がいるのに、巻き込まれた人も一緒くたに「揉め事」ってのは無い、だろう。


さらに、喧嘩売るにしてもどうしても許せない何かがあったのかもしれない、どうしても伝えたい事情があるのかもしれない。


争いって醜い、争う人はどっちも悪いよね?と、一言で説明されているようで。
必死に揉み揉みやってるのがまるで馬鹿みたいである。


プライドを賭けた切った張ったの論争はどんな内容にしろ真剣なのである。
大部分の人は揉め事なんてしたくないのである、止む終えない事情で巻き込まれたり巻き込んだりと、
人間界はかくも複雑なのだ。


これこれこういう揉め事があるという認識ならまだ分かるが、「揉め事」というカテゴリーにとりあえず入れちゃうのは必死な当人に失礼であろう。


と、ここまで書いて揉め事タグってあまり使われてないことに気づいた。
なんかよく見かけるような気がしていたんだけど。