安全と座席

社会というのは命を一番上位価値においているものだ。


自明というか当たり前の話なのだが、
果たして本当に「命を大事に!」しているかというと難しい問題である。


もちろん、世の中には出来ることと出来ないことがあって、
どれだけ高額の費用を払ってもかまわないから「命を大事に!」というわけにもゆかず、現実的に最善を尽くすのではあるが。


しかし、世の中には最善を尽くそうと思えば出来るはずなのにほうっておかれる安全というのも存在する。
今日はその話である。

まずは下図を見て欲しい。

上記は通常起こりうる交通事故の状況を図にしたものである、見てもらえればわかると思うが
腹部と頭部に尋常ならざるダメージを負っていることが理解できるはずだ。


このダメージは深刻で、自動車事故なら速度によっては内臓損傷、軽症でも鞭打ちなどの怪我を負うことになる。
ベルトをしていなければ命に関わるのは言うまでも無い。
ましてや航空機の事故ならばその衝撃も大きくベルトで腹部を切断され、前の座席に頭部をめり込ませて絶命ということになる。


このように進行方向に向かって座ることは事故がおきた時非常に危険な行為であることがわかる。


さて、もうひとつの図を見てもらおう。


上記は、進行方向に対して逆向きに座席を配置したものである。
この場合事故の衝撃を座席が吸収することによって身体へのダメージは小さくなる。


この、「命のために座席を逆にしよう」というのは昔から言われてきたことで、新幹線や航空機では何度か検討されたのではあるが、居住性の問題から無視され続けている案件でもある。
だれしも進行方向と逆向きに座りたいとは思わないからだ。
多分酔うし。


ここなのである、
命というのは確かに最も大切と言われているが、それは往々にして言葉の問題や結果論になりがちである。


我々は時として居住性やデザイン性のために命を無視することさえある。
そもそも社会において命は等価だが、我々は他人の命を自分の命と等価には考えていない。


要はバランスだ、肝心なことは何も決まっていないのである、
「命を重視するべき」というこれほど当たりまえに吐かれてきた言葉さえあまり信用に値しないことがわかるだろう。
状況は流動的で人間界はかくも複雑なのだ。