絵画の見方(どう見れば美くしいと感じるのか?)

今日はこの日記を見てちょっと考えてしまった、蛇足に流れてもはや意味がわからんが。

絵画に材料費以上の価値はあるのか?

よく話題になる話。
他には宗教は本当に必要なのか?とかかな、


よく現代美術(20世紀以降)は意味がわからないと言われる、この絵が何なのか、一体何を表現しているのかわからない。
そもそも絵ですらないではないか?
躍動する筆跡?鮮烈な色彩?リズム感あふれる空間表現?、誇大妄想じみた表現だ。
見ている分にはお世辞にも下手糞な塗り絵以上の何物にも見えないし、そもそも平面を分割しただけで作品などと、馬鹿馬鹿しい、彼らよりずっと絵が上手い素人などいくらでもいる、集団催眠か新手の詐欺では無いのか?


さて、どうだろう、少し見方を変えて見ようか、
ここに文脈という言葉がある、例えば一般的に禁止される差別発言・暴力発言も文脈においては様々な表情を見せるし、作品によっては認められる場合もあるだろう。(といっても聖書かららい病の記述が消えて久しいが。)
一概にひとつの台詞、ひとつの単語を上げて作品全体を語るなどという暴挙を行ったら笑いものにされても文句は言えない。


さらに、漫画というものがある。
例えば、冨樫の「ハンター×ハンター」を語っていたとして、その中の一コマのみを取り上げて「下手糞な落書きだ、何を表現しているのか?作者には画力が無い、理解できないし作品として認めることは出来ない、もちろん冨樫には作家としての価値は無い。」と語っていたらどうだろう?


絵画一枚だけ、作家一人だけを訴状に上げて理解できるのか否かを問うということはそういう行いに近い。


絵画には文脈がある。
特に現代美術は中世と比べて絵画に関わる人格がより鮮明に社会に近づいているのでよりその傾向が強まっているといえる。
現代美術という言葉自体が死語となってはいるが、現代美術作品を語る際には、絵画的評価に加え時代的評価、哲学的評価、社会的評価も加味しさらに人類の認識の歴史そのものを考慮に入れる必要さえ出てくる。
マネが当時どういった評価を受けていたか、ポロックはどうだったか、ピカソはどういう時代に生きていたか?リヒターに連なる作品は?ジャスパージョーンズの影響力は何処まで及んだのか?


ちょっと難しいことを書いているように見えるが、例えば「デスノート」を語る際には、奇抜なストーリー、美麗な描写力だけではなく、少年誌という枠を改めて考え直させる作品、現代社会の空気を新たな視点から描いた意欲作という側面も決して無視できないだろう。今まであった作品群との比較や、その後に続く作品に与える影響も考慮したフラットな評価が必要になる。
当然デスノートが生み出された社会的背景の議論になるはずだ。
現代において文化作品は時代を映す鏡だとといわれている。


現代絵画は歴史という文脈の中に存在し、人類の発する情報の一つとして存在している。例えるなら人類という演劇のなかの役者の一人、台詞の一つだと考えてくれればいい、当然大根役者もいれば名演もいるし、名台詞もあれば芋台詞もある。
要は、絵画は社会とは切り離された単体では存在しないし、より我々の社会と密接に関わっているということだ。


さて、そういった複合評価を不純である、と感じる人もいる。
絵画は絵画として独立して存在し、その価値は絵画的価値に集約されるべきだというような感じである。
絵画に必要なのは優れた眼と画面構成力、色彩表現力、何よりデッサン力、というやつである。

画家といえば髪を後ろ手に結って山奥で自然の山の絵や花、動物を物静かに描いているような画家のイメージを持っている人がいるのではないだろうか?


少し見方を変えてみよう、
此処で言う絵画的価値とは音楽で言えばクラシックの領域である、音楽文化と逆になっているのでちょっと説明が難しいが。
純粋に個人の力で音楽の音楽性を追求するのがポップスだとしよう、で、先人の音楽を学び理論や知識も踏まえた上で表現されるのがクラシックだとする。(かなりむちゃくちゃな例えだが。)
絵画ではこれが全く逆で、個人が純粋に絵画として絵画的価値を追求するのが現代で言えばクラシック的な絵画。
絵画史、社会学的見地から絵画を制作するのが現代美術というような分類となっている。(ポップアートはここでは無視します。)


両者には確かに隔たりがあるように見えるが、一般的にどちらも価値がある。
どちらがどうというわけではない。
今の音楽シーンを引っ張っているのがレディオヘッドなのか?ヘルムート・フリードリッヒ・ラッヘンマンなのかといわれても誰も答えることが出来ないに違いないからだ。


そして一番の問題は現代美術を鑑賞する際には、それなりの知識がないといけないというところである、
上記のとおり絵画史、歴史という文脈において生み出された作品は絵画史に精通していなければわからないことが多々ある、もちろん視覚的に一目見てすばらしいといえる作品に出会えるかもしれないが、たいてい絵画史という文脈をなぞらないと意味がわからない場合が多い、どうしても絵画という分野から絵の視覚情報だけですべて理解できるように思われるが、そうもいかないのだ。
クラシックを楽しむのにそれなりの知識があればより楽しめるというようなものだと考えてくれればいい。
パロディだらけのアニメを楽しむのに背後の作品群を一通り見ておいたほうがより楽しめるのと同じである。


これは私見だが視覚的に素晴らしいとされる作品、例えばゴッホとか。
あれだってゴッホという画家の半生と切り離して考えるのは難しいだろうし、実際に絵を物理的に見るのか、印刷された情報を見るのかでも全く違う。
それにバロックの頃の絵とかむちゃくちゃでかいんだって、おおーでけえ、すげー、見たいな。
物理的に絵に圧倒されることもある。
んで一度現物をみたら忘れない、これすごい、なぜか美術館に見に行った絵はどんなに意味がわからなくても覚えてるんだから不思議。
教科書暗記してテスト出るよみたいなのはさっぱり頭から消えるのよ、でもピカソとか見に行ったら忘れない、でいいなと思って図版買っても家で見たらなんだこれ?みたいな。
ジャスパージョーンズでもポロックでも忘れない、意味がわからないのに忘れない、これはすごい、ポロック(笑)とか言わないそこ!
バーナードリーチですら作品通してみると面白い全く専門外の陶芸だったけど。


ほかにもさ、いい作品展行ったら一人の作家の生涯が見えるだよ、最初は風景でだんだん色彩だけで表現しようとして「ぱっとしないな」なんて偉そうなことを考えてたら突然絵が変わって衝撃死したりするんだって、その前の一枚とその後の一枚がぜんぜん違ったりして、パーテーション一枚の間に何があったのか?童貞捨てたのか?、んでそれで驚いたらさらに次の一枚はえらいことになってたりするんだけど。
最終的に最後のほうの絵だけ見ても何をやっているのか意味わかんないだろうなってこともある。


あ、興奮しすぎた、そういうこと、えと、週末に美術館に行くのは楽しいですよ。以上。