何故、ラッセンはダメなのか。とか美術の話。

さて、
今日は昨日の続き、
優劣の森にはいると美術ってのはとたんに袋小路に入るから誰も明確なことは言いたがらない。
結論から先に書いてしまえば人間が決めることに何一つ絶対的なものは無い。


しかし、ここは僻地である、いいじゃん、いいじゃん、ではやってみるか。


ラッセンの技術が素人よりも一枚も二枚も上手いのは一目でわかる、なるほど、誰もが納得である。


では技術が素晴らしい、すなわち、美術的観点からも評価できる、となるのだろうか?
ならないのである、何故なのか?


例えば、すべてを小指で書く画家がいるたとしよう、それはそれは技術的に素晴らしく繊細で写真と見間違うほどの出来だとしてもただそれだけというのでは美術という段階においては評価されない。
何故なら、美術における評価とは美術史における評価であるからだ、これは腹が立つが事実である。


要するにある画家が存在し、その画家が作品で後世にどれだけ影響を与えたのか、または、影響力を与えるだろうと見込まれるか、が美術的評価である。


歴史の登場人物に対する評価の仕方と同じである、ある政策や思想、発明がどれだけ影響力があったのかあるのかが評価の主題である。


はい、美術なんて糞だと思った方、ええ、そんなもんです。


しかし、なんでもそのようなものではないのだろうか?
歴史に名が残っている物事といえば、後世に影響を与えた物事ばかりである。


既に誰かが作ったブラウン管をいくら薄くしても歴史には名が残らないが、LEDを開発した人は名が残る。
ただ絵が上手くても歴史に名は残らないが、その作品が後世に影響を与えるようなものであれば歴史に名が残る。


ゴッホラッセンとどちらがどうというわけではない、ただ、ゴッホは後世の美術家に多大な影響を及ぼした、ラッセンはそのようには見込まれていないというだけだ。
(但し、幾つかの分野ではラッセンはとても評価されている、イルカ好きの自然保護団体とか。彼らが人間の歴史を牛耳るようになれば評価はかなり変わるだろう。)


もちろん、これからどうなるかはわからない、ラッセンが改めて評価されるかもしれない。
唯、ゴッホはもう19世紀を代表する画家として評価されていて、そういうのと比べるのは酷かなと、比べるなら、ゲルハルト・リヒターとか、いや、これも酷か。


では、絵画において歴史に名が残るというのはどういうことなのか、これは言っちゃ悪いけど、近代美術史を勉強したりNYの動向を気にしたりしないとわからないのだ、厄介なことに。
アニメで例えるならアニメの流行やアニメの歴史を踏まえずにいきなりアニメを作っても評価されないだろう、という例えがわかりやすい、いまさらドラゴンボールのパクリを作っても評価はされない。
評価とはそんなもんではないだろうか。


まあ、美術における評価とは部屋にきれいな絵を飾りたいというような方向とは大きく外れていることは確かである。


で、趣味の話。


趣味は人それぞれだが、絵に関しては美術史的に評価が高い絵が一般家庭にあることなど滅多に無い、あってシャガールぐらいだろう。(シャガールにしても、、、以下自粛。)


たとえ、ゴヤとか、ミケランジェロとかが自室に飾ってあったとして、果たしてそれで趣味が良いといえるのだろうか?
絵画には美術史的な優劣が確かに存在するがそれは一般家庭に飾る絵がどうこうという次元ではないのだ。
そして絵画という分野には美術史的優劣しか優劣を判断する基準は存在しないのである。


では、見た目が綺麗とか、技巧が素晴らしいとかそういう絵画とか美術とかではなく平面としての優劣はどうだろう。
これは基本的に個人の目に任されている、だれも文句は言わないし、どの絵を飾ろうが自由である。
で、この範疇での明確な基準はどこにも存在しない、それは自由であるし、ラッセンだろうがみつおだろうが、板垣退助肖像画であろうがなんだってかまわない、自分が良いと思った絵を飾るのが一番良い。


どんな分野でも評価とはそんなものだろう。


パンクを生み出したセックスピストルズの音楽性は技巧がどうこうという枠内では評価されていない。
評価とは「パンクを生み出したセックスピストルズ」であって、「聞くとわくわくするよ」てのは公正な評価ではない。
そして、歴史的な評価は優劣を明確に判断するが「聞くとわくわくするよ」という最も正当で真っ当な評価とはいつの間にか乖離してしまう。
で、「聞くとわくわくするよ」って部分はどうにも優劣のつけようのないものなのである。


評価ってのは実に味気のない、ある種くだらないもので。
現場で造ってる人間が特別気にすることでもないし、まして買うほう、飾るほうは全く気にする必要もないと思うのだが。


(独り言、ちなみに私個人はラッセンに特別技術があるとは思わないし、友達の部屋にラッセンが飾ってあったら趣味が合わないかもなあ、とも思うだろう。ラッセンの制作姿勢はプロだなとは思うけど。)